ミクシィの利用規約問題から学ぶこと

ミクシィの周辺が、4月1日からの利用規約変更がきっかけで騒がしくなっています。

3月3日にユーザーに対して告知されたのですが、この内容が、あまりにもユーザーの権利、特に著作権や著作者人格権を軽視した表現だったため、あちこちのブログや日記で、瞬く間に反論が広がりました。ミクシィは、問題となった18条で、ユーザー日記などを、無償かつ非独占的に複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変できる、としました。また同時にユーザーがミクシィに対し「著作者人格権」を行使しないことも明記しました。

あまりの騒ぎに、ミクシィ側も対応策を講じたのですが、この対応が少しばかり的外れで、問題の本質に対する回答ではありませんでした。ユーザーの「心配」を「誤解」だとし、「実はサーバーにデータを格納する際に改変が生じて・・・」などという説明をしたから、火消しどころか、「火に油」気味になってしまったわけです。そんな状況を受け、5日には、条文を修正し、ユーザーに著作権があることを明記するとのリリースが出されました。

そういえば、ライブドアブログでも、以前同じような騒ぎが起こったことがありました。ただ、今回はSNSというクローズが前提の空間であり、さらにはユーザーの自己責任で公開の範囲設定ができる仕組みまであるだけに、その前提が崩壊しかねない今回の規約改正に、ユーザーの怒りも大きかったのではないでしょうか。ミクシィも今ではメガコミュニティに成長し、以前に比べると閉じられている感じが薄れてしまったようですが、それでもSNSの大前提を崩すことで、多くのユーザーの信用を裏切ることになってしまったのでしょう。

話は変わりますが、先日、新聞業界の若手が集まるある会合のパネルディスカッションで、パネリストを務めさせていただきました。その席上で自分の話の締めとして、「Googleが発見した10の事実」の『ユーザーに焦点を絞れば、「結果」は自然に付いてくる。』を引用し、新聞は果たしてユーザーに焦点を絞れているか?と問いました。私は、このブログを書き始めた頃から、「マスメディアとCGMの共存」を意識しているつもりなのですが、これを実現するために最も必要なファクターが、「ユーザーに焦点を絞る」ことだと考えています。

今回のミクシィ騒動で改めて考えたのですが、ユーザーを不特定多数、市民や群集という一つの集団だとみなした瞬間に、サービス提供者側のエゴが表出してしまうのかもしれません。そしてこれは、何もウェブに限ったことではなく、様々なサービスや商品を提供する全てのものが意識しておかなければならないことなのだと思います。