米国の新聞事情に思う

すでに新聞関係者のブログで取り上げられた少し古いニュースだが、記録としてここにも残しておこうと思う。

ニューヨーク・タイムズ、フリーペーパーのボストン・メトロの大株主に1月6日 NIKKEI NET

NYタイムズ社がフリーペーパー「ボストン・メトロ」の株を49%取得するらしい。YOMIURI ONLINEによると新聞離れが進む若年層対策とのこと。NYタイムズ社はボストンの有力紙ボストン・グローブも所有しているということだが、ボストン・メトロと読者層は重ならないという。フリーペーパー読者がある時期を境にボストングローブ紙読者に切り替わる、という狙いなのだろう。無料で情報を仕入れていた人たちが、あるときを境に情報にお金を払うか、と考えると少し疑問も残るが、それもその情報の質次第なのだろう。

近年、日本でも、新聞社がこぞって�フリーペーパー�っぽい、タブロイド型(新聞本紙の半分の大きさ)の別刷りを出すようになった。各紙に共通した特徴は、明らかにターゲットが絞られているということ。多くは比較的若い女性読者層をターゲットにしているが、中にはシニア層をターゲットにしている媒体もある。新聞はマス媒体なので、広く大衆にニュースや情報を届け続けてきたわけだが、新しい媒体は、ある特定の消費者層を狙って情報を届けるという意味では、それに対するアンチテーゼともいえそうだ。消費者ニーズがこれだけ細分化、多様化しているのだから、この業界の動きも懸命な判断なのだろう。苦し紛れ的な感も否めないが、消費者を見る努力をするようになったという面では、少し変わってきたのかなぁとも思う。

しかし、これだけ無料でニュースや情報が手に入る時代になったのだ。新聞は�おまけ�の情報紙やウェブサイトに力を入れる以上に、新聞にしかできないことをあらためて腰を据えて考えるべきではないだろうか。歴史や伝統に支えられ、自己満足で新聞を作っているなどもってのほか。世間が本当に求めているものは何なのか、もっともっと見つめなおす必要がありそうだ。