年賀状について考える

今年も150枚ほどの年賀状を出した。無精者なので、昨年のうちに準備することなく元旦にあわてて出した。いいわけがましくなるが、年賀状はもともと「年が明けました。新年のご挨拶をハガキで失礼します」という気持ちをこめ元旦に書いたものなのだそうだ。だから最後に2005年元旦と日付を入れる…とか考えていると、実際に元旦に書き投函した私の行為は正しかったことになる。

ところで、IT mediaニュースに「年賀状作成にPCを利用する」9割強(BCN総研調べ)という記事があった。ウェブ上でのアンケートなので、サンプルに代表性があるかというとちょっと?だが、それにしても高い数字だと思う。さらに年配者ほど出す枚数が多いので、PC利用率が上がるという。厳密に言うと有意差があるかχ2乗検定すべきところだが、グラフを見る限り若年層で「表裏とも手書き」が多く、年配者ほどPCの理屈も一理ありそうだ。

一方、ウェブ上で、おめでとうメールやグリーティングカードを受け取った経験は、全体で6割強だという。私の場合、100通以上の年賀状と1通のメールを受け取った。メールの主は60歳の上司。昨年からメールで済まされているようだ。

さて、自分もそうだが、パソコンに向かってせっせと子供の写真や干支のイラストを貼り付けているのに、なぜメールやグリーティングで済まそうとしないのだろう。メールじゃ失礼かなとか、これだけは一言手書きを添えて出さないと、とか、思わせる何かがある。これだけ、日常をデジタルに頼りながら、さらには超アナログなものをデジタル技術でせっせと作っている、自分でやっておきながら不思議だ。

毎年この時期になると、面倒臭さのあまり「郵政公社の陰謀だぁ」とか言いながらも、ちゃんと年賀状を注文し、一枚ずつ手書きの一言を添え、郵便ポストに投函する。

安心している場合ではないが、そう考えると紙媒体を売る会社で働く一人として少しだけ和む話題である。いやいや和んでいる場合ではない・・・。