インターネットと凶悪犯罪

秋葉原の無差別殺傷事件から3日が過ぎました。マスコミは、連日事件を詳報し、容疑者のバックボーンを報じています。また、ネット上でも、現場の惨状を記したブログエントリーや様々なコラムがアップされ、事件が社会に与えた衝撃の大きさを物語っています。まずは、お亡くなりになった皆さんのご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

この事件でも、マスコミが注目し連日報道するのが、容疑者のネット上掲示板への書き込みです。凶器となったナイフを探したのもネットだったと、事件の背景にいかに「ネット」が深く関わっていたかが語られています。また最近は、この事件に関わらず、多くの事件報道で「ネット上で・・・」という話題がクローズアップされるケースが多いように思います。

ところで、話は変わるのですが、先日のINTERNETWatchに『日本新聞協会、“青少年ネット規制法案”について懸念表明』という記事がありました。青少年の成長に悪影響を及ぼすコンテンツに規制をかける法律は、表現の自由に反するのでは・・・というのが懸念の主旨のようです。ただ、法規制vs表現の自由という構図で議論をしたところで、実りのある結果を生むように思えないのは私だけでしょうか。決して無駄な論議ではないのですが、実情に即していない感が拭えないのです。

同じくINTERNETWatchに『ニフティ、小学校で「情報モラル教育」の授業』という記事がありました。インターネットは道具です。道具は正しい使い方を知らないと恐ろしい結果を生みかねません。それを、規制という観点からだけでなく、教育という観点で地道に行う姿勢には敬意を表したいと思います。

凶悪犯罪⇒インターネット⇒有害コンテンツ⇒法規制というベクトルが、インターネットの道具としての可能性までを摘んでしまうことは好ましくないのではないのでしょうか。もっと、全てにおいてことの本質を考えたいものです。最近のマスコミ報道を眺めていると、そういう危うさを感じます。


2 Comments

  • schmidt

    2008 年 6 月 13 日

     問題を指摘したり、事実報道を繰り返したりするだけでなく、ネットリテラシー、メディアリテラシーについて新聞界挙げてキャンペーンに取り組んではどうかと思います。

     ネットに関して言えば、今や社会的に難しい問題が出尽くした観があります。市民、専門家、政治家等々の知識や見識が「道具を正しく使う」ことに向かうような環境づくりが必須です。新聞界自体が及び腰だることが一番の問題です。

     そんなステップを踏みつつ表現の自由も主張していけばいいのではないかと。

  • saygo

    2008 年 6 月 14 日

    >schmidtさま

    コメントありがとうございます。
    確かに仰るとおりだと思います。私たちの業界は、もっと道具の正しい使い方、情報とは何か・・・を、生活者の目線で訴えていく必要があると思います。
    NIEも重要でしょうが、情報リテラシーを高めるための教育のほうが、これからは実態に即しているように思います。

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