僕の来た道について考えてみた

「僕の来た道」について書こうと思うのだけど、別に自身の人生を振り返ろうとか、そんなセンチメンタルな話ではありません。過去というのは、誰にでも必ず存在するものですが、そこを振り返るという行為は、現在や未来に何かしら作用し、影響を及ぼすものと考えることができないでしょうか。ということが主題ではなくて、、、

7月10日、Yahoo!がリリースしたiPhoneアプリ「僕の来た道」、遅ればせながら私も使ってみました。

まずは iTunes App Storeの説明を見てみると、

「僕の来た道」は、毎日の行動を自動的に記録するライフログアプリです。
あなたは去年の夏休みどこに行ったか覚えていますか?「僕の来た道」を使えば、あの日行った場所をすぐに思い出せます。

と書かれています。

この説明を見てまず思ったのが、位置情報付きの日記というところ。これはたしかにありかもしれません。位置情報は自動記録しながら必要なときだけメモを追加していけるのは、ライフログとして便利に使えそうです。そして、なにより、このアプリを開いた際のアンニュイな絵がいい、様々な過去を背負っているような。。。(笑)

機能としては、位置情報の自動記録、滞在時間の記録とシンプルなところから、ログデータのEvernoteへの書き出しや、Twitter、Facebookへの公開等外部サービス連携も準備されています。記録をとるか否かをスタート・ストップで簡単に制御できるところも便利です。

ところで、このアプリを使い始めてまず感じたところが、自分のいた場所を隈なく記録することに対する違和感。それが素晴らしいところなので、これを言ってしまうと元も子もないわけですが、秘め事ができないなぁと。

それともう一つ考えたのが、自分の移動した奇跡がログ化されると、自分の行動が予測されそうで嫌だなというところ。月曜日は佐賀にいる可能性が高いけど、週半ばは比較的早い時間帯から出張先の繁華街にいるみたい、とか(笑)。近い未来を予測するところに新しいメディアの姿があるのだろうというのは頭ではわかるのだけど、過去の要素ばかりで未来を作られても面白くないなぁと。

折角の新しい感覚のサービスだし、あまり余計なことを考えずに便利なライフログツールとして使えばいいのでしょうけど。