ブログを書き始めた2004年頃は、週に3〜4本のエントリを上げていました。今考えると、仕事が暇だったの?と思うくらい、書かなければという変な使命感に駆り立てられ、ネタを探してまでもブログを書いていました。
それが、ふと振り返ってみると、最近では月2本のエントリがやっと。別にそれが悪いわけでもないのだけど、このプラットフォームに、自身の思考のログが残っていかないのは寂しいものだ、と何故か急に考えてしましました。
多分、私自身がウェブ上に発信する情報の量は、この5〜6年で、飛躍的に増えています。それは、Twitterであったり、あちこちのSNSであったり。でも、「あ、どこかでこんなこと書き込んだよなぁ」と、ふと思い出したときに、探し当てれなかったりすることもあって、個人のプラットフォームとしてのブログを見直したりするわけです。
道具は、シチュエーションによって使い分けるべきものだけど、その道具を通して発信された自分に紐づく情報が、散在している状況ってなんとかならないものかなぁ、とか勝手な妄想を繰り広げるのでありました。
p-article
2010 年 5 月 24 日情報の断片化が進むことで、断片化された情報の再構成の要求はより強くなると考えております。
要求が強くなるというより、その価値を構成する断片化された情報のポテンシャルが高まるということことかもしれません。
このあたりは、またおいおい(笑)
saygo
2010 年 5 月 24 日>p-articleさん
コメントありがとうございます。
「断片化された情報の再構成」って確かにキモですね。
ただ、その再構成が、編集(エディット)から整理(コントロールとかプランニング)に変わっていくのかもしれません。
また、ぜひお話しましょう!