「見出し」の力

ニセモノの良心さんが、NRIのリリースの試算方法について数回にわたりエントリをされています。またそのコメント欄でも色々な指摘があり、前向きな論議が行われているようです。今回、一連のエントリなどを読んで、数字の捉え方やその切り口によって随分と試算が変わってくるということがわかりました。NRIの試算とニセモノの良心さんの試算のどちらが実態に近いのかは素人の私にはわかりません。ただ、あくまでそれは事実ではなく試算だということを前提に話をすることが重要なのかもしれません。

NRIのリリースの見出し(タイトル)は

企業の広告・宣伝手法は、マスメディアから個別対応のITメディアへ 〜HDRユーザの過半数がテレビCM80%スキップ、今年の損失総額は約540億円に〜

というものでした。当然見出しですから、要旨を完結に説明したものでなければなりません。しかし、この「見出し」というものが一人歩きしだすということが今回の騒ぎでよく分かりました。NRIのリリースは注目率が高く、あちこちのブログで取り上げられていました。最近物珍しくてよく使うテクノラティ経由でもいくつかの関連ブログを読んだのですが、その多くがリリース内容というより、この見出しに反応し感想を述べています。

見出しでは、その仮定や結論を導き出す手法は当然説明されません。だからこそ、どこまで断定的な表現を使ってよいのかということを吟味する必要があるように思います。人の関心を引き付ける刺激的な見出しもよいのですが、それが一人歩きすることを十二分に考えておく必要があるのではないでしょうか。また読む側も見出しに対するリテラシー能力を磨かなければならないのかもしれません。

メルマガやRSSリーダーで記事を読んでいて思うのですが、その記事の「見出し」は閲読の導入部です。手に入る情報が増えれば増えるほど「見出し」でニュースの価値判断をするケースが増えるように感じます。情報が氾濫する時代だからこそ「見出し」の限られた文字数の中で、いかに真実を伝えるかということが、新旧メディアに共通した腕の見せ所なのかもしれません。

追記:NRIがリリースに補足説明を追加したようです。その最後の部分…

今回算出した「2005年のテレビ広告損失総額」はテレビ視聴動向のトレンド変化を見極めるためモデルを設定し試算したものであり、広告費市場動向を予測したものではない。

なんか分かるような分からないような…。