つたえびと

少し前になりますが、「つたえびと」という一冊の本が完成しました。この本は、100人が一人1万円を負担、各々の思いを執筆し出版しようというプロジェクトです。不完全燃焼気味ながら(笑)、私もこの企画に参加させていただきました。

この企画の主体は、ローカルメディアネットワーク。2005年2月、ミクシィ内で立ち上げられたコミュニティで、地方新聞社の若手を中心に、自主勉強会を開いたりしてきました。初めの頃は、私も積極的にお手伝いさせていただいていたのですが、最近は、管理人さんに任せっきりで申し訳なく思っていました。ただ、この企画の趣旨を聞き、何か、自分の一区切りというか、そんな意味も込めて参加させていただくことにしました。

今回は、新聞関係者だけではなく、メディア系の勉強をされる学生さんや、研究者の方、ベンチャービジネスを手がける方など46人(100人には足りなかったけど)が、今自分が誰かに伝えたい思いを、様々なスタイルで綴られています。「つたえたい」ということ以外は、特にテーマもなくそれぞれなのですが、何か執筆者に共通する思いというか叫びみたいなものを感じずにはいられません。

で、私が伝えようとしたことは…
正直なところ、何度読み返しても、混沌としていて研ぎ澄まされていないなぁと少し反省しています。ただ、出来の良し悪しは別として、このブログにはログとして残しておこうかと思います。

それと、このプロジェクトでは、本10冊をいただくことができます。現在、手元に8冊残っていますので、読んでみたいという方はご連絡ください。本当は1000円で販売していますが、特別に献本させていただきます(笑)


201x年4月1日 ~残したモノ 残されたモノ

カタンというポストの乾いた音が響いた。夕べも、お酒の力を借りながら夜更かしをしてしまったので、午前5時にこの音で起こされるのは心地いいものでは ない。さぁ、もう少しだけ寝よう、と眠りの淵に差し掛かった瞬間、ワイドショーの何とも大げさな感情表現で不快に目を覚ます。

目をこす りながら時計に目をやると、午前8時。年をとると朝が早くなるというが、あれは一部の人の思い込みだろう。自分にその常識はあてはまらないらしい。ぼんや りしていると、また乾いたポストの音が鳴り響いた。今度は一段と大きな音だ。時間は、8時10分。どうやら目覚ましのスヌーズ機能をオンにしていたらし い。そう、この音はお気に入りの目覚まし音で、音と同時にテレビというか、情報受信端末の電源が入る仕掛けになっている。

考えてみる と、自身の半生で、大学時代の3年間と新聞休刊日を除き、朝刊が届かなかった朝はない。全ての記事に真剣に目を通すこともなかったのだが、朝の食卓に朝刊 があるのはごく普通の光景だった。それと呼応するように、午前5時、50ccバイクのエンジンと「カタン」 というポストの音が耳に残っている。

その音が聞こえなくなって、何年経ったのだろう。というほどでもないか。いわゆる 「新聞紙」が届かなくなったのは2年前の今日からだった。その数ヶ月前に新聞紙面で控えめに告知され、直後に、販売所の人が「電子ペーパーを使った最新端 末をぜひ」と、何とかという機械のリースを勧めにきた。でも、2011年に、とりあえず時流に乗っておこうと買い換えたテレビは、新聞風にアレンジされた 文字情報がいくらでも読めるし、5Gと呼ばれるモバイル端末でも同様のコンテンツが無料閲覧できる。そんなこともあって、契約書にサインすることはなかっ た。今さら「紙に変わる最先端の・・・」とか言われても、ピンとこなかった、というのが正直なところだ。ただ、ドア越しに、ビール3ケースを見たときには 少し気持ちも揺らいだのだけど。

新聞紙が届かなくなって半年が過ぎた頃、仕事が上手くいかず寝付けない夜があった。午前2時、寝れない のでお酒を少し。3時、思考が縺れてきて余計に眠れない。4時、もうすぐ空が明るくなる。そういえば、10年位前に、同じようなことがあった。東京の会社 から「うちで仕事をしない?」と誘ってもらったり、結構まじめに起業を考えたりしてた頃、こんな夜をすごしたことがある。そして、この行く当てのない悩み は、決まって朝刊がポストに入る音で解放された。カタンという合図とともに徹夜の覚悟が決まると、決まって少し難しめのコトラーやドラッカーを手に取っ た。

その妙な懐かしさから、目覚まし(といっても端末の起動音だけど)の音は、新聞がポストに入る音に設定している。目覚まし音ダウンロードランキングでは、新聞配達がなくなった年のゴールデンウィーク頃から、トップ10を外れてないらしい。

昭和の経済成長とともに大人になり、何度か訪れた不況に一喜一憂した世代にとって、新聞は時代を映す鏡だったに違いない。紙をめくる音、インクのにおい、 指先が黒くなってしまう感じ。今、その文化は消え去ろうとしているけれど、皮肉にも情報パッケージとしての価値とは別の次元で、残されようとしている。

今朝は、首筋にべっとりと寝汗をかいた。なんとも不快な朝だ。