和泉式部とクチコミ

平安時代を代表する歌人和泉式部には、様々な伝説があります。お墓だけでも全国に何ヶ所も存在するし、生誕の伝説なども含めると数多くの言い伝えが残されています。日本民俗学の祖、柳田國男は、この現象を、中世に全国を行脚した比丘尼などの女性宗教家の関与をもって解きました。

実は、これに限らず民俗学の中では、同様の事例がたくさん出てきます。特に民間信仰を少し掘り下げると、必ずといっていいほど行き着く「疑問」だったりもします。世情不安の中で、強力な信仰が生まれるのはまだ分かる気がします。ただ安泰の世で、逆に「祟り神」が流行ったりする事象があります。

こういった事例を考えると、群衆心理みたいなものはあるにせよ、そのトリガーとなる何か(誰か)が存在するのでは、と考えるのが自然でしょう。その証拠に、広範囲で同様のことがほぼ同時期に起こったりするのです。

学術的な根拠を示さないまま、こんなことを書くと怒られそうなので、あくまで私の想像ということにしておきますが・・・

「最近、身近に嫌な出来事が起こらなかった」
「いや別に・・・」
「いや確かに起こっているはず」
「そういえば、こういうことがあったけど・・・」
「それは、町外れにある大きな石を祀らないからだよ」
「んなことないでしょう」
「いや、となりの町では、同じように悩んでいた人が解放されたよ」
「えっ、そうなの」
「あの石は○○って神様が置いていったものなんだよ。祀らないと怒りに触れるし、祀ればいいことが起こるよ。」
「そういわれると、祀りますとしか言えないんだけどね」

みたいな会話があったのかなかったのかは知りませんが、こういった会話をしながら全国を行脚する人たちが、この類のクチコミのトリガーになったのではないか、ということが、民俗学周辺では言われているのです。

では、これらの情報流布が、クチコミを誘発することで得をする人たちによるデマで、「効果があったよ」と最初に言い出した人たちもサクラだったとするとどうでしょう。確かに、傍から見ると人を欺く行為でまずいようにも思いますが、結果として、そこに人々の安心感や満足感が生まれていたとすれば、満更まずいとだけはいえないような気もします。

このクチコミが広範囲に広がり、人々の心の拠りどころとして、あるいは慣習として形を変えながら時代を超えて残っていく。文化なんてそんな繰り返しのうえに形作られているのかもしれないと思うと、ペイパーポストがどうだとか言う話が、急にちっぽけに思えてきたりします。

大学時代にかじった日本民俗学。もう一度、今の自分の目線で眺めてみると、新しい気づきがあるかも、という気がしています。


2 Comments

  • p-article

    2009 年 3 月 19 日

    広告が必ずしも悪者ではないというところに通じますね。
    必用悪とかそんなんじゃなくて…

    どう向き合うかということが大事なんだなーと感じる今日この頃です。

  • saygo

    2009 年 3 月 19 日

    >p-articleさん

    おっしゃる通りですね。
    広告活動を行う側にコンシューマを欺こうという明確な意図があればNGかもしれません。ただ、情報を受ける側のリテラシーも必要なわけで…。そんな微妙なバランスの上で、広告がスパムではなく有益な情報になっていくんだろうなぁ、とか考えています。

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