広告が広告でなくなる時

自宅のポストに、よく全戸宅配型のフリーペーパーが入っています。数種類ありますが、中にはA4、100ページ程のボリュームある媒体もあります。内容はもっぱら広告、4分の3くらいはあるでしょうか。広告の銘柄は、飲食店や、美容、エステなどが多いようです。記事も少しは載っているのですが、広告に埋もれている記事をわざわざ探してまで読もうとは思いません。

しかし、先日久々に家族で外食をしようかということになり、行く店の選別にかかった時のこと。妻がそのフリーペーパーを持ち出したのです。まさに、私が広告だらけの媒体として目も通さない冊子が、その時だけはまるで「食の百科事典」のように見えます。ご丁寧に生ビールサービスのクーポン券まで付いています。いつもはうんざりするものが、このときばかりは必要なものに変わったわけです。そう考えると、消費者にとって必要な情報は、もはや広告であって広告でないのかもしれません。以前、同僚とパブ広告について「コンシューマは載っているモノが記事か広告かという判断基準ではなく、自分に必要な情報か否か、という視点でまず判断するのではないか」とかいう話をしたことがありますが、まさに一消費者としてそれをあらためて感じました。

これまで広告というと、マスメディア広告、SP広告をたくさん目にしてきました。これらは、企業が商品やサービスを売るとか、ブランドイメージをつくるとか、どちらかというと企業側に軸足を置いたモノだったように思います。しかし、昨日もエントリーしましたが、ネット広告は少しこれらとは趣がちがうようです。コンシューマ側に軸足を置いた広告と考えることができないでしょうか。バナーをはじめ、マス広告の性格を持ち合わせるモノもありますが、コンテンツマッチやキーワードマッチ、さらにはRSS広告などは、よりパーソナライズされる可能性があります。とすると、個人にとっては、もはや必要なものと不必要なものの混在したこれまでの「広告」ではなく、必要不可欠な「情報源」になりうるのかもしれません。

日頃、全く目を通すことのない広告だらけのフリーペーパーが百科事典に見える。ネット広告もこれと同じように考えれば、クライアントメリットとコンシューマメリットの両方を兼ね備えた、これまでの「広告」とは似て非なるものに進化をとげていくのかもしれません。


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