新聞は個客へのアプローチを

ガ島通信さんが日経BPに連載されている「メディア崩壊の現場を歩く」は、つい最近まで同業者だった方の外からの貴重な意見として興味深く読ませてもらっています。第2回「ネットとメディアの融合が実現するとしたら…」でも、いつもの鋭い切り口で、手厳しい指摘をされています。「既存メディアの残された道は、縮小均衡するか、競合媒体であるネット(それ以外の収益事業があれば、そこで稼いでもかまわない)に打って出るしかない。しかし…」と続くのですが、それでは新聞ビジネスは八方ふさがりになってしまいます。では、何を変えなければならないのでしょうか。

それは、マーケティングの世界では使い古された言い方ですが「顧客から個客へ」という発想の転換に尽きると思います。新聞社はこれまで、媒体力を表す指標として発行部数と世帯普及率を重視してきました。閲読率や精読率という指標もありはするのですが、多くの新聞社の媒体リポートは、いまだに部数を基本に媒体力を語っています。経営的観点から見ると、閲読率ではなく部数が新聞ビジネスの基本になることはよく分かるのですが、部数だけではその先に存在する「個人」を知ることはできません。モノを作って売る会社にとって本当に必要なのは、どの家庭が買っているかではなく、誰が何の目的で買いどう使っているか、ということに尽きるのですが、新聞はそういったアプローチが極端に苦手です。新聞社はメーカーでありながら、実際にその商品を手にしている個人を想定できていないのです。ここに新聞ビジネスの大きな落とし穴があるように思います。

新聞が一部=一世帯を基準と考えるのに対し、インターネットの世界では個人が基準です。ブロゴスフィアも個人の集まりですし、SNSのコミュニティなども個人の集合体です。だからこそマスメディアにはないスタイルのビジネスの可能性が広がっているのです。多くの観点からのセグメンテーションが可能なので、例えば広告だけを考えてみても高い広告効率、レスポンスが期待できます。ネット普及が個人の価値観を多様化させたのか、価値観の多様化がネット普及を後押ししているのかはわかりませんが、新聞がいまだに多様化した個人を、マスやコミュニティ(家族とか地域とか)で括っていることで、メディアビジネスとしての可能性を自ら摘んでいるように思えてなりません。。

ガ島さんが言うところの「新聞に残された道」を切り開くためには、まず基本を「一部」と認識するのではなく「一人」として認識しなおすところから始めるべきなのではないでしょうか。マスメディアを標榜しながら個へのアプローチをというと、パラドックスに聞こえるかもしれません。しかし、ジャーナリズムのターゲットがマスである必要があっても、メディアビジネスとして捉えた場合、マスにこだわる必要はないように思います。まさに、今新聞にとって「顧客から個客へ」という発想の転換が必要なのではないでしょうか。

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自分の頭の中を整理するために書いたエントリーです。
新聞の将来について興味のない方はスルーしてください。
興味のある方は、ご意見、アドバイスをいただければ幸いです。


7 Comments

  • Pingback:No words, No life.

  • scapa

    2005 年 4 月 13 日

    テサラック様

    はじめまして。コメント・トラックバックありがとうございました。
    私もガ島様の「ネットとメディアの融合が実現するとしたら…」を読みましたが
    実は感覚的にネットとメディアってどうやっても融合しないような気がしています。
    何故そういう感覚を持ったか、というのを自分なりに文字に落とし込んで
    そのうちエントリーしようと思ってます。

    ところで
    メーカーが通販を仕掛けるにあたって最大の課題は
    如何にしてエンドユーザーの名簿を(販売代理店ではなく)
    メーカーが持つことができるか、ということに尽きる、
    ということを聞いたことがあります。
    テサラック様が書かれているように
    新聞社をメーカーとして捉えると、
    新聞の弱点は個が見えてない(世帯でしか見えていない)
    ということになりますね。
    私にとってとても興味深い捉え方でした。
    いい視点をいただいたと思っています。

    今後ともよろしくお願いいたします。

  • 現場記者

    2005 年 4 月 13 日

    テラサック様
    初めまして。「多様化した個人を、マスでくくることが、メディアビジネスの可能性を自ら摘んでいる」との指摘は同感です。現場記者が記事を書くときイメージする読者像も漠然としたもので、結果的に当り障りのないありがちな報道に足並みがそろうのだと思います。とは言うものの、読者像の絞り込みで報道に特徴を出しても、経営的にはそれによって読者が失われることを不安視するでしょう。もう一つは、よそ様のところは別にして、身近な例で言うと、路線変更に最も抵抗するのが編集局であるように思います。ベテランになるほど「報道とはこうあるべきだ」との信念が強いでしょうから、彼らを変えるのは容易ではなく、変わらないと後進も変わらない。現場記者としてこのままではいかんとは思うものの、従来の評価基準が変わらぬままでは身動きも取れないわけでして。漠然とした読者像を人格化する作業も難しく、ジレンマの日々です。半分愚痴になってすみません。ブログの更新、楽しみにしております。

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  • Hooray

    2005 年 4 月 13 日

    実のところ「どの家庭が買っているか」さえ分かっていないはずです。というのも、購読者名簿は販売店が握っていて門外不出だからです。笑い話(にもならない寒い話)ですが、もし販売店が火事にでもなって顧客名簿が消失したら、次の日からどこに配っていいか誰も分からないそうですよ。

    まあ、それもヤバい話なので、各社考えているようですけどね。

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  • テサラック@管理人

    2005 年 4 月 14 日

    scapaさん、コメントありがとうございます。
    ネットとメディアの融合に関しては、様々な見解があるようですね。住み分けが進むという考え、一方が他方を飲み込むという考え、既存メディアはなくなっても構わないという考え。でも私は、消費者の利益を優先させるという大前提に立った上で、あくまで「融合」にこだわって考えたいと思います。

    現場記者さん、コメントありがとうございます。
    新聞業界は、前向きに変革しようとすればするほど仰るようなジレンマを抱え込んでしまう。ほんと変な世界だと思います。伝統的な商慣習や再販などに守られた世界だから、そうなってしまうのでしょう。けど、だからといって現状に甘んじるわけにはいきませんよね。

    Hoorayさん、コメントありがとうございます。
    ほんと寒い話ですが、新聞の流通の話になると必ずぶつかる壁です。でも悲しいのは、ご指摘のような事実に疑問を感じている新聞社員はごく一部でしかないということ。自分のフィールドの仕事が終わると後は知らないというような極端なセクト主義がそうさせるのだと思います。情けない。

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