共同通信のブログ「署名で書く記者のニュース日記」に「マスコミを勧めない理由」というエントリーがありました。既存メディアで仕事をしている一人として残念でなりませんでしたし、情けない思いをしました。小池さん、故意にシニカルなエントリーを立て、既存メディアに問題提起していらっしゃるのですよね。
「札幌から ニュースの現場で考えること」の高田さんや、R30さん、ガ島通信さんも、それぞれの立場から感想を述べられているようです。読ませていただくうちに自分も我慢できなくなってエントリーを立てたのですが、私が思うに、小池氏のエントリーが本心ならば、この業界に巣食う病魔は、もう手に負えないものになってしまっているのかもしれません。情けない。まず、小池氏の言葉には、情報発信の先にエンドユーザー、消費者がいるという意識が一切感じられません。誰のために「報道」があるのですか。少なくとも記者の自己実現のためではないはずです。そこに情報を必要とする人たち(能動的であれ、受動的であれ)がいるからこそ「報道」は存在し、そういったエンドユーザーに、情報を正確に伝える重い責任を自ずと負っているのではないでしょうか(業界の大先輩にこんなことを改めて言うのも失礼ですが…)。その見返りとして、ユーザーは購読料を払い、新聞社は通信社に高いお金を払っている。
それなのに、「自分たちの業界は、意識が高い人ほど苦労するから、お勧めできませんよ…」って。共同通信さんからニュースを仕入れているメディア、さらにはエンドユーザーである読者に対する背信行為みたいなものですよ。高田さんも言われていますが、今、私たちメディアの人間に必要なのは「こんな所だから来ないほうがいいよ」と若者に呼びかけることではなく、志を持つ人が絶望しないような新しいシステムを作り上げることだと思うのですが。
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のむひょん
2005 年 3 月 25 日いくらなんでも
今時、マスコミを目指すというのは
都電の運転手になりたいという程度の
馬鹿しかいないだろう
あれは前世紀の遺物だもんなあ
テサラック@管理人
2005 年 3 月 25 日のむひょんさん、手厳しいコメントありがとうございます。
でもそれを、小池氏みたいに内側から発信してしまうのもどうかなぁと思いますね。私には、前向きさが微塵も感じられなかったし…。
今後ともお付き合いのほどよろしくお願いします。
Hooray
2005 年 3 月 25 日都電の運転手に失礼ですよ。
某県なんか、市バスの運転手になりたくて学歴の逆詐称(大卒なのに高卒と偽った)人までいるんですから。人気職なんですから。
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テサラック@管理人
2005 年 3 月 26 日コメントありがとうございます。
Hoorayさんのブログ、興味深く拝見させていただきました。
大きな魚の一部でもありスイミーでもある自分に、今何が出来るのか、じっくり考えてみようと思います。
今後ともよろしくお願いします。
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2005 年 3 月 27 日こんにちは。TBすいませんでした。
以前から拝読しておりました。今後とも、よろしくお願いします。
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テサラック@管理人
2005 年 3 月 28 日踊る新聞屋さん、コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
浜村寿紀
2005 年 3 月 28 日コメントとTBありがとうございました。「エンドユーザーの存在」というご指摘に、大きくうなずいています。今後とも意見交換をよろしくお願いします。
テサラック@管理人
2005 年 3 月 28 日浜村寿紀さん、コメントありがとうございます。
こちらこそ、色々なご意見を聞かせてください。
「エンドユーザーの存在」に対する意識ですが、新聞が独自の流通体制を持つ業界なだけに、希薄になってしまっているような気がします。
Habby
2005 年 8 月 23 日#古いエントリにコメントしちゃってすみません。
新聞社志望の学生が紙の新聞読んでませんから、いろんなことが考えられます。
「誰のための報道か」
これは一番の基本だと思います。確か、想定購読者が一応いて中学生が読みこなせる程度、ではなかったでしょうか。
しかし。カップラーメンの作り方は小学4年生くらいでも分かるようにしてあるとか。
理由は大人になるとどうしても小学4年生くらいのレベルに落ちるからだと小売店のおじさんから聞いたことがあります。
となると、新聞も子供新聞のように噛み砕いて報道すべきだし(それは極端ですけど)、書く側がいかに読者に必要なことを伝えるか、ということですよね。
なぜ新聞は放送した番組について批判・検証するテレビのように、自分が報道したことについてうまく伝えられたかどうか検証しないのでしょうか。土日にそういった検証のページでもつくって、そこからはじめたら随分と読者に近づける気がします。
saygo@管理人
2005 年 8 月 23 日Habbyさん、コメントありがとうございます。
「誰のための報道か」
ほんと、メディアで働く人間にとって一番大切な意識なのだと思います。その芯が曖昧になってしまっているところを、今一度既存メディアは振り返り、反省すべきなのでしょう。
報道内容を、読者や識者と検証する組織づくりや、その内容を紙面にフィードバックする取り組みは、いくらかの新聞社ではやってるみたいですよ。
ご参考までに共同通信さんのケースです↓
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/dokusya/
Habbyさん、今後ともよろしくお願いします。
Habby
2005 年 8 月 25 日テサラックさん、ありがとうございます。
検証する組織については社内や新聞業界でやることはもちろん、外の話を聞くということも必要でしょうね。
ガ島さんの「老舗和菓子屋さん」のたとえは「なるほど」と思ってしまいました。
http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/04/dokusya.html
saygo@管理人
2005 年 8 月 26 日Habbyさん、コメントありがとうございます。
>外の話を聞くということも必要でしょうね。
はい、そのとおりだと思います。ガ島さんの例えを借りれば、自分の店の和菓子が売れなくなってきているのに、消費者に「なぜうちの和菓子を買わなくなったの?」「味は昔と比べてどう?」「近所の洋菓子をなぜ買うの?」などを尋ねようとしない。また、実際に洋菓子を買ってきて自分で食べてみながら、違いを研究してみようとしない。そんな努力がまだまだ足りないのだと思います。
うちの和菓子の味に間違いはない、って本気で自信を持っている職人さんは、人知れず研究を重ね、顧客の声に耳を傾けているのだと思います。