共同通信のブログ「署名で書く記者のニュース日記」に「マスコミを勧めない理由」というエントリーがありました。既存メディアで仕事をしている一人として残念でなりませんでしたし、情けない思いをしました。小池さん、故意にシニカルなエントリーを立て、既存メディアに問題提起していらっしゃるのですよね。
「札幌から ニュースの現場で考えること」の高田さんや、R30さん、ガ島通信さんも、それぞれの立場から感想を述べられているようです。読ませていただくうちに自分も我慢できなくなってエントリーを立てたのですが、私が思うに、小池氏のエントリーが本心ならば、この業界に巣食う病魔は、もう手に負えないものになってしまっているのかもしれません。情けない。まず、小池氏の言葉には、情報発信の先にエンドユーザー、消費者がいるという意識が一切感じられません。誰のために「報道」があるのですか。少なくとも記者の自己実現のためではないはずです。そこに情報を必要とする人たち(能動的であれ、受動的であれ)がいるからこそ「報道」は存在し、そういったエンドユーザーに、情報を正確に伝える重い責任を自ずと負っているのではないでしょうか(業界の大先輩にこんなことを改めて言うのも失礼ですが…)。その見返りとして、ユーザーは購読料を払い、新聞社は通信社に高いお金を払っている。
それなのに、「自分たちの業界は、意識が高い人ほど苦労するから、お勧めできませんよ…」って。共同通信さんからニュースを仕入れているメディア、さらにはエンドユーザーである読者に対する背信行為みたいなものですよ。高田さんも言われていますが、今、私たちメディアの人間に必要なのは「こんな所だから来ないほうがいいよ」と若者に呼びかけることではなく、志を持つ人が絶望しないような新しいシステムを作り上げることだと思うのですが。
コメント
確かに勧められないわな…
ホームページ制作
東京で人に会い、議論して、怒って、笑って… かなりお疲れモードだったので今日は休刊(休エントリー?)にする予定だったのですが、R30さんと高田さんが相次いで触れている共同通信小池氏のエントリー「マスコミを勧めない理由」に脊髄反射
いくらなんでも
今時、マスコミを目指すというのは
都電の運転手になりたいという程度の
馬鹿しかいないだろう
あれは前世紀の遺物だもんなあ
のむひょんさん、手厳しいコメントありがとうございます。
でもそれを、小池氏みたいに内側から発信してしまうのもどうかなぁと思いますね。私には、前向きさが微塵も感じられなかったし…。
今後ともお付き合いのほどよろしくお願いします。
都電の運転手に失礼ですよ。
某県なんか、市バスの運転手になりたくて学歴の逆詐称(大卒なのに高卒と偽った)人までいるんですから。人気職なんですから。
それは違うんじゃないですか
小池さん、それは違うんじゃないですか。
「マスコミを勧めない理由」(署名で書く記者の「ニュース日記」)
現場で若い記者とともに悩みながら日々記事を書いている私にすれば「ちょっと待ってくれよ」という感じ。オブラートに包んでみましたが、実際のところかなり怒って…
「マスコミを勧めない理由」に対して
引き続き東京滞在中です。種々の仕事で忙しく、自分のブログを覗くヒマもあまりありませんでした。いまも次のアポが迫っているのですが、でも、気になるエントリが共同通信社の「署名で書く記者の『ニュース日記』」にあったので、パソコンに向かっています。
そのエントリは「マスコミを進めない理由」。筆者は共同通信社編集委員の小池新さんです。この中で、小池さんはこう書かれています。(以下引用。一部略)
現在のマスコミは、かつてと比べて記者を育てるシステムの精度がかなり落ちている。さまざまな批判はあるが、以前の業界には記者クラブ制度が確立していた。取材や記事の何たるかを全く知らない新人でも、そ…
これでは、マスコミは勧められない
共同通信社の入社試験で言ってはいけない単語は「浅野健一(氏)」だった。斎藤茂男氏、辺見庸氏は微妙だな。春名幹男氏ならOKかな? いまもそんなに変わらないだろうな。
もう10年ほど前、自分を含めた新聞記者志望の学生だって、それくらいの処世は考えていた。共同の面接へ行って「犯罪報道を変えたい」と言い放つ学生がいたら、彼や彼女は純粋かもしれないが、ちとイタイ。
朝日新聞で言えば「本多勝一(氏)」であり、読売新聞で言えば「黒田清(氏)」だろうか。いまなら、読売で山口正紀氏、毎日で北村肇氏の名前を出すのも、やめたほうが良いだろうな。
フジテレビの面接へ行って「堀江社長を支持します」と…
コメントありがとうございます。
Hoorayさんのブログ、興味深く拝見させていただきました。
大きな魚の一部でもありスイミーでもある自分に、今何が出来るのか、じっくり考えてみようと思います。
今後ともよろしくお願いします。
匿名発表が広がっている…
現在、警察が事件事故を報道する際、当事者(加害者、被害者)を匿名で発表するケースが増えているという。青森県警は、2003年4月、交通事故について、過失割合の少ない第二当事者(被害者など)について、匿名で発表するとの方針を打ち出した。
メディアがプライバシーに配慮して、匿名で発表することは必要だと思うが、警察がメディアに匿名で発表するということは、警察の情報をメディアがチェックすることができなくなるっていう意味で非常に問題が大きい。
有名なところでは桶川事件女子大生殺人事件。この事件では、警察が自らの不祥事を隠蔽するため、毎日遺族宅に滞在し、メディアが遺族と接触するのを防いだという。もし、そのまま、メディアが遺族に接触できないままだと、あの事件は、遊び慣れた女子大生の軽率な行為に問題があったということで片づけられたかもしれない。それを暴いたのは一雑誌記者だった。
そもそも、青森県警は、2000年9月、青森署員が酒気帯び運転で電柱に衝突する事故を起こした際、この署員を逮捕しないまま、「任意捜査(逮捕しない場合)は匿名が原則。警察官も例外ではない」と言って、この署員の使命の公表を拒んだことがあるという。
この匿名発表は、全国各地で広がっており、警視庁でもそういう傾向があるという。
そんな流れの中で、人権擁護法案や憲法改正国民投票法案などメディアを規制する法律が提案されようとしている。
監視されるべき国・行政側は、できるだけ情報をださないようにしつつ、他方で監視する側(メディア)を監視する権限を持とうとしている…。
ライブドアとフジテレビの問題よりも深刻だぞぉ!!
以上、河北新報社2004年6月3日、毎日新聞2003年6月3日など参照。
こんにちは。TBすいませんでした。
以前から拝読しておりました。今後とも、よろしくお願いします。
未来語れぬ新聞社〜マスコミを勧めない理由〜
共同通信編集委員、小池氏のエントリー「マスコミを勧めない理由」が記者系ブログを中心に話題になっています。みなさんがおっしゃるとおり、確かにその「勧めない理由」とやらには納得できません。「昔はよかったんだ。でもいまは…」という域を出ない、つまらない理由で
ネット(ブログ)は新聞を殺すのか
いったい、既存メディア(主に新聞やテレビなどの大手マスコミ)と、ブログなどのネットは、これからどうなっていくのでしょうか。「ネットは新聞を殺すのかblog」などに刺激されて始めたこのブログ(「札幌から」というタイトルが安直でイマイチだったと後悔してますが)も、そろそろ3か月になります。
この間、私がぼんやりと感じたことを、ランダムに記してみました。ただし、あれこれと書きなぐったもので、備忘録のような感じです。従って、結論はありません。内容も整理されていませんし、重複や矛盾もあります(その時々で考えたことを手元で追加していたので、そうなってしまいました)。また、この内容は逐次、追加し…
いったい、どうしちゃったんですか?
共同通信編集委員の小池新さんが書かれた「マスコミを勧めない理由」(署名で書く記者の「ニュース日記」)に対して、コメントやTBでさまざまな批判が寄せられている。特に共同からニュース配信を受けている地方紙、ブロック紙に勤務している方の怒りが目立つ。それらを…
踊る新聞屋さん、コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
コメントとTBありがとうございました。「エンドユーザーの存在」というご指摘に、大きくうなずいています。今後とも意見交換をよろしくお願いします。
浜村寿紀さん、コメントありがとうございます。
こちらこそ、色々なご意見を聞かせてください。
「エンドユーザーの存在」に対する意識ですが、新聞が独自の流通体制を持つ業界なだけに、希薄になってしまっているような気がします。
#古いエントリにコメントしちゃってすみません。
新聞社志望の学生が紙の新聞読んでませんから、いろんなことが考えられます。
「誰のための報道か」
これは一番の基本だと思います。確か、想定購読者が一応いて中学生が読みこなせる程度、ではなかったでしょうか。
しかし。カップラーメンの作り方は小学4年生くらいでも分かるようにしてあるとか。
理由は大人になるとどうしても小学4年生くらいのレベルに落ちるからだと小売店のおじさんから聞いたことがあります。
となると、新聞も子供新聞のように噛み砕いて報道すべきだし(それは極端ですけど)、書く側がいかに読者に必要なことを伝えるか、ということですよね。
なぜ新聞は放送した番組について批判・検証するテレビのように、自分が報道したことについてうまく伝えられたかどうか検証しないのでしょうか。土日にそういった検証のページでもつくって、そこからはじめたら随分と読者に近づける気がします。
Habbyさん、コメントありがとうございます。
「誰のための報道か」
ほんと、メディアで働く人間にとって一番大切な意識なのだと思います。その芯が曖昧になってしまっているところを、今一度既存メディアは振り返り、反省すべきなのでしょう。
報道内容を、読者や識者と検証する組織づくりや、その内容を紙面にフィードバックする取り組みは、いくらかの新聞社ではやってるみたいですよ。
ご参考までに共同通信さんのケースです↓
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/dokusya/
Habbyさん、今後ともよろしくお願いします。
テサラックさん、ありがとうございます。
検証する組織については社内や新聞業界でやることはもちろん、外の話を聞くということも必要でしょうね。
ガ島さんの「老舗和菓子屋さん」のたとえは「なるほど」と思ってしまいました。
http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/04/dokusya.html
Habbyさん、コメントありがとうございます。
>外の話を聞くということも必要でしょうね。
はい、そのとおりだと思います。ガ島さんの例えを借りれば、自分の店の和菓子が売れなくなってきているのに、消費者に「なぜうちの和菓子を買わなくなったの?」「味は昔と比べてどう?」「近所の洋菓子をなぜ買うの?」などを尋ねようとしない。また、実際に洋菓子を買ってきて自分で食べてみながら、違いを研究してみようとしない。そんな努力がまだまだ足りないのだと思います。
うちの和菓子の味に間違いはない、って本気で自信を持っている職人さんは、人知れず研究を重ね、顧客の声に耳を傾けているのだと思います。