次世代マーケティングプラットフォーム

2008年4月、「次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの」の著者、湯川鶴章さんのブログに次のようなエントリがアップされました。

米国取材の結果、本の内容を根本的に変更することに決めた。ということで200ページほどの原稿がすべて無駄になった。

この後、ブログではボツ原稿が全てアップされています。これはこれですごいボリュームで読みごたえがあるのですが、それをボツにしてまで書かれたのがこの本、ということからも分かるように渾身の一冊だと思います。著者は、「ネットは新聞を殺すのか」からここまで、メディア変容といってしまうと月並みなのですが、情報が生産され消費されていくスタイルの変化の半歩先みたいなものを、常に論じてこられました。そういった流れを思い起こすと、一種の結論めいたモノに到達されている感じさえします。

ところで、このブログで2005年4月に「広告が広告でなくなるとき」というエントリを書きました。この頃、ちょうど私は、インターネットとマーケティングに出会い、咀嚼しながらその親和性の高さを痛切に感じ、同時にマスメディア広告の限界を感じ始めたころで、「広告は受け手の情報欲求の具合によって、スパムにも不可欠な情報にもなりうるよなぁ」というようなことを考えていました。このおぼろげに感じ続けてきたこと、既存の広告にボディブローのように襲いかかる変化のイメージが、この本を読んだことで、明らかに確信へと変わりました。

この本の主題は、「広告がクリエイティブからテクノロジーへと本質を変えていく、これまで広告と呼ばれていた活動の重要なファクターが重心移動する」というようなことだと思います。その中で、エンドユーザーとのコンタクトポイントを最適化する手法に変化が訪れる、というか既に変わり始めているということが書かれています。このことが、SaaS型のeCRMを提供するsalesforce.comだとか、デジタルサイネージに代表されるような新しい広告デバイスを通して象徴的に語られています。

また、全編を通して一つの重要なキーワードが繰り返し使われています。サザエさんに出てくる「三河屋さん」がそれです。これが、テクノロジー×マーケティングの代表格ともいえるsalesforce.comと融合することで何が起こるか、というようなところがキモなのでしょう。三河屋のサブちゃんは、磯野家の御用聞き営業みたいなもので、無意識のうちにデータマイニング、テキストマイニングを行っているわけです。これはいわゆる経験則みたいなものかもしれませんが、このリアルなコンタクトポイントがあって、そこにテクノロジーをベースにした情報や設備のシェアが加わり「次世代マーケティングプラットフォーム」が形成されていくのでしょう。

ただ、この内容を快く思わない方々も、たくさんいらっしゃるはずです。恐らく、これまでの広告の概念を全否定するもの、今なお主流であるクリエイティブ重視のプロモーションスタイルを否定するもの、と捉えられてしまうのではないでしょうか。実際にそういった批判的な意見にも、多々遭遇しましたが、この現象は、あくまで重心移動であってゼロサムの話ではないことを念頭に論議をすべきなのだと思います。とかく、既存の枠組みの中にいると、こういった新しいテクノロジー系の話には排他的になりがちです(経験上・・・)。しかしながら、この論議に答えを出すのは、媒体社でもクリエーターでもありません。商品やサービスを届けたい、知らせたいと思う供給者と、その商品やサービスを消費するエンドユーザーのレスポンスこそが、その価値を決めることは必然です。

次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの」は、単なる既存の広告ビジネスの論評や、マーケティングに関する最新テクノロジーのレポートではありません。その先に訪れる新しい広告スタイル、まさに「広告が広告でなくなるとき」の出現を予言した内容だと感じました。

湯川さん、ご献本いただきありがとうございました。