SNSはプラットフォームになるのか?

いよいよ、Facebookが日本語化されサービスをスタートしました。

Facebook幹部:「われわれはインターネットのネットワークオペレーターになる」(ZDNetJapan)

この記事の中では、Facebookはネット上の次世代プラットフォームに・・・といった方向性が語られています。当然、この手の記事も増え、あちらこちらで、mixi vs Facebookだとか、日本のSNS市場再編だとかが取りざたされているようです。greeがこのタイミングでTVCMをスタートしたことも、何か大きな流れを感じます。

さて、最近はめっきり聞かなくなりましたが、「ウェブ2.0」というウェブサービス進化の流れの中で、最もクローズアップされたキーワードは「共有」「シェア」ではなかったでしょうか。私自身、これまでのプレゼンや講演など、多くの機会に「共有」というコトバを連発してきました。

ただ最近になって、「ちょっと待てよ!」という気持ちが大きくなっています。それは、Facebookが登場、API公開によりSNS内でのアプリケーション開発が盛んに行われ、SNSこそがウェブ上の個人のプラットフォームだ・・・的な流れが出てきたことに対するアンチテーゼなのかもしれません。

私のケチな一面なのかもしれませんが(苦笑)、情報は、「共有」ではなく「所有」から全てが始まるのだと思います。インターネット上では、そのポテンシャルを追う一部のイノベーターによりいち早く「共有」が語られ、それが災いして、キャズムの手前辺りで足踏みが起こっているのではないかとさえ感じます。上手く表現できないのですが、「共有」が、多くの局面で、結果とか手段ではなく目的になってしまったという感じでしょうか。

素人なりにウェブサービスのトレンドを追いかけ、それを「善」としてきた自分なのですが、ここにきて、このウェブ2.0化こそがインターネットという道具がキャズムを越える上でのネックになっているのではとさえ考えてしまいます。

さて、人がウェブにかかわりを持ったとき、真っ先に情報を「共有」しようと考えるのでしょうか?それとも、独り占めする?・・・やっぱり状況に応じて共有?ということになると、全ての基本は、パーソナライゼーションに行きついてしまうのかもしれません。もっと、パーソナルをベースにして共有を考えるところに、次世代プラットフォームの可能性が見えるのではないでしょうか。

その辺りのことと、デバイスとシチュエーションをどう組み合わせるかが、これから大きなポイントになってくるのだと思います。