メディアの世界で勤続20年らしい

先日、以前に務めていた新聞社の同期と久しぶりに再開し近況など語った際、「今年が勤続20年の年で表彰されたよ」という話を聞き、私は自分なりに、嗚呼メディアの世界に関わるようになって、まぁ色々あったかもしれないけど20年が過ぎたんだなぁと思ったわけです。

そんな中、アルファブロガーのF氏藤代裕之氏が、某業界紙の取材ではるばる佐賀まで来てくれることになりました。旧知であり、戦友であり、議論の絶えない後味の悪い友(笑)に、ここぞとばかりに20年の思いをしゃべり尽くそうと、なんとなくそう思ってしまい、洗いざらい昔の上司が聞いたら怒り出しそうなことも話してみたのです。時折オフレコも含めながら。

そこでお話させていただいたことが、どこでいつどのくらいのボリウムで紹介されるのかはわかりません。しかしながら、20年の思いを込めて言葉を吐き出したので、きっと、いい記事を書いてもらえることでしょう。

ところで、何となく前の会社を辞める頃の日記やブログを読み返してみました。ブログはよそ行きなんですが、mixiは公開範囲が限られていることもあり案外フランクでした。タイトルは、「さよなら新聞、こんにちは地域メディア」パラドクスかもしれませんが、これぞ今の自身の原動力なのだと改めて考えたので、コメントを除く本文のみ以下に転載します。

今日は、お知らせがあって、久しぶりに日記を書くことにしました。

ブログ等でご存知の方もいらっしゃると思いますが、
3月末をもって、今勤めている佐賀新聞社を退職することにしました。
佐賀新聞社では16年間、事業部、販売部、営業企画室、経営企画室、そして現在のデジタル戦略チームで、様々な経験をさせていただきました。
どちらかというと、新聞社の王道(一般的に記者とか広告営業とかかな)ではない、周辺の新聞社らしくない仕事をたくさんやってきたのかもしれません。あくまで自分では王道のつもりでやってきましたが(笑)

2003年、ウェブとマーケティングにほぼ同時期に出会い、04年ブログを書くようになり、05年1月にこのミクシィにはいり、、、そんなことをしているうちに、自ずと、次世代型のメディアづくりということを意識するようになり、今に至ります。ウェブ上で、人とつながり、これまで知らなかった価値観とたくさん触れたことが、自分を動かした一番の原動力なのだと、改めて思います。

4月には、地元佐賀で、株式会社ローカルメディアラボという会社を立ち上げます。
会社といっても、まだ当分は、フリーランスのメディアコンサル、企画屋的な仕事をやっていくことになりますし、これまで同様、佐賀新聞のメディア戦略についてもお手伝いさせていただくことになります。

私も、昨年12月に40歳になりました。
今回の決断には、正直不安もありますし、多くの方々にご迷惑をかけたことも承知しています。
ただ今は、人生の次のフェーズをどう生きていくかというワクワク感と、既存ではない新しい「モノ」を作っていくんだという大きな決意があります。

これまで、お世話になった全ての皆様に、心より感謝いたします。
そして、これからも、どうぞよろしくお願いします。

まぁ、人生色々ありますなぁ〜

 

追記

ブログを書き始めたのは、ちょうど10年前でした。当時は、共感する記事には“トラックバック”し、自分なりの感想や、時には反論を展開しました。先ほど、友人のブログにFacebook経由でたどり着いたら、たまたま、このエントリへのリンクを見つけました。だったら、やっぱ相互トラックバックが必要かなということでリンクを張っておきます。ちなみに、このエントリに出てくる方のブログですね(笑)

http://gatonews.hatenablog.com/entry/2014/09/07/104006