立体的な情報

私は好んで、「立体的な情報」という言葉を使います。

インターネットに積極的に関わるようになってから、既存マスメディアとネットメディアのメディア特性を眺めつつ、これらが対峙することなく、生活者にとって役に立つものになる手段と、そのスタイルを思い描いてきました。

まず、マスメディアの情報にはどういう特性があるのかというと、ある事象を、象徴的な事柄を拾い集め、つなぎ合わせることで形作ります。専門機関が発表した情報に、拾い集めた象徴的な事象を乗せてニュースにして行く。 ただ、ここで問題なのは、象徴的(最大公約数的)な情報以外は漏れてしまうということでしょう。例えば災害が起こったときに、「うちは全然大丈夫でした よ。それほど怖くもなかったし」という声は、拾われることはないでしょう。最も大きな被害を受けたところが大きく報じられ、何度も何度も繰り返し放映され、新聞にも掲載される。

ただ、ここに、ネットメディアの特性でもある、いわゆるCGMやソーシャル的な要素を掛け合わせて行くとどうでしょう。輪切りにされた情報の間を、リアルな生の声が埋めていくのではないでしょうか。そこには、一つの象徴的事象に対して「悲しい」とか「苦しい」とか、あるいは 全く逆の立場から「嬉しい」とか、そんな多様な声があるのでしょう。ただ、これは、正しいとか間違っているとかいうものではなく、ありのままなのです。

さらに、この前者、後者が混在した状況を、時間軸や、カテゴリ軸に乗せ整理していく。今私がぼんやりと思い描いている「立体的な情報」とはこんな姿のものです。

まだまだ修行が足りず、明確に定義できずにいるのですが、最近、おぼろげに色々なものがつながり始めたような気がしています。

7月23日に、新しいサービス(期間限定)のリリースを出します。そんな「立体的な情報」の実験の場でもあります。