ITメディアの記事によると、米国では、新聞社サイトの閲覧が過去最高を記録したようです。反面、発行部数は減少したのだとか…。
ところで、最近は電子新聞絡みのニュースも多いようです。ペーパーメディアの悪あがきの感も否めないような気もするのですが…。ニューヨークタイムズがMSと開発したという新聞閲覧システム、英国ガーディアン紙のデジタル版、そういえば、国内でも「産経ネットビュー」がありました。私は、スタイルになじめず、購読は2ヶ月でやめてしまいましたが…。個人的にはガーディアンのスタイルが、シンプルで一番しっくり来ます(メディア・パブさんのところで知りました)。
ネット上でニュースコンテンツを読むスタイルとしては、あくまで紙ベースにこだわった電子新聞スタイルも、そのひとつだと思います。しかし、本当に新聞社サイトの閲覧を増やす要因は他にあるような気がしてなりません。
一言でいえば、サイトの魅力が、勝負の分かれ目なのでしょう。米国新聞社のサイトでは、比較的に早くからネット上の情報流通の強みを生かした、様々な思考錯誤が行われています。ブログ検索やタグを実装したニュースサイトや、ECやクラシファイド広告をミクスチュアしたユニークなコンテンツも多いように思われます。中には社説をウィキで公開したところ収拾がつかない状況になり、即閉鎖なんてこともありましたけど。
ただ、米国の新聞は広告収入をベースにしたモデルで、国内では購読料収入に依存しているモデルであるところに大きな違いがあります。新聞社サイトの閲覧が増えて、発行部数が減るという実態は、両者でそう違いはないだろうと予測されますが、ビジネスという面からみると、及ぼす影響は大いに異なるのではないでしょうか。
ネットの特性を十二分に活用したサイト、ネットサービスを構築すること。ユーザーのパラダイムシフトに伴うメディアとしてのポジショニング変化に、的確、迅速に対応すること。この二つが、新聞社に対して、大きな課題として突きつけられています。
さて、新聞社のサイトに本当に求められているものって何なのでしょう。その分析から入らないと、いくらコンテンツを増やしてみたところで、既存の枠を何一つ超えられないような気がしてなりません。
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わかばやしく
2006 年 5 月 14 日おっと、ついに動きはじめましたね。
私もそろそろ「わかばやしく」をちょっとだけ卒業して、できる範囲内で無駄に勝手に怪しげなメディア論をわかばやしく風に突っついていこうと思っています。無理かもしれんけどねんwww。
Habby
2006 年 5 月 15 日紙ベースにこだわる理由は企業側の都合が大きいのではないでしょうか。
・見出しの大きさによる価値の順位付けが見やすい
・特殊フォーマットによる課金のしやすさ(?)
が思いつくところです。
新聞社のサイトに求められるものとは何か、それによって読者を幸せに出来るのか?
難しい課題ですね。
saygo@管理人
2006 年 5 月 16 日>わかばやしくさん
コメントありがとうございます。
いえいえ、動き出したわけではないんですが(笑)、少しずつ、ローカルメディアの役割とネット上でできることについて考えてみたいと思いまして…。まだまだ修行の身ですが(苦笑)
>Habbyさん
コメントありがとうございます。
確かに企業側、メーカー側の都合が幅をきかせすぎのような気がします。もっとネット上でユーザが何を望むか
、何を伝えるべきか、どんな役割を果たすかについて考えるべきかもしれません。
MAO
2006 年 6 月 15 日「新聞社のウェブサイトに求められるもの」は「新聞に求められるもの」と同じじゃないでしょうか。
ローカルメディアの役割は今後ますます重要になると思っています。
それは「紙の宅配」と「広告付きの放送」だけでは担えないでしょう。
ユーザがなにを望んでいるかを考えるのも必要でしょうが、もっとジャーナリズム側が主体的に自分たちの使命を考える方が先のような気もします。
最近はマスコミ、全国紙、全国ネットの報道の偏りが目に余ります。
批判精神を忘れた報道はジャーナリズムとは呼べません。
saygo@管理人
2006 年 6 月 15 日>MAOさん
コメントありがとうございます。
>ジャーナリズム側が主体的に自分たちの使命を考える方が先…
確かにおっしゃるとおりだと思います。私は、メディア(伝達手段として)のスタイルは、ユーザニーズに応じて変わるべきだとは思いますが、新聞(地方紙)の本質的な役割は変わるべきではないと考えています。情報が氾濫する時代だからこそ、マスメディアはその能力を研ぎ澄ませていかなければなりません。また、同時にユーザが発する声を聞く努力も、今以上にすべきだと思います。
そういった努力が今あるか?と聞かれるといささか?なんですが・・・