ずいぶん時間が経ってしまったので、いつものことながら「いまさら何を…」って感じですが、ニュースの現場で考えることの高田さんから宿題トラックバックをいただいていましたので、少しだけオルタナティブ・メディアについて考えてみることにします。大して新しい閃きもないのですが。
高田さんのエントリを読んで、
「既存メディアに変わる新しいメディアがネット上で上手く運営できたら素晴らしいだろうな」と思う半面、「それは新しい媒体を創らない限り、できないことなのだろうか」という疑問が残っている。
という一文がとても印象深いものでした。私も(かろうじて?)業界の内側にいる人間なので、同じような疑問を抱くし、できることなら新しい媒体を創らないでもいい方法を探したい、と激甘かもしれないけど夢見ています。
そこで、オルタナティブ・メディアが新たに生まれることも大歓迎という前提で、新聞も同様に生まれ変わるにはどうすればよいかを、情報の流れるスタイルの観点から少しだけ考えてみることにします。
オルタナティブ・メディアのキーワードは、何といってもインタラクティブ性だと思います。それはただ単に情報発信者と受信者の1対1の双方向ではなく、その情報を取り囲む網目状の双方向です。その多元的な双方向の中に情報発信者も含まれる、そんな情報を囲むコミュニティのような姿が理想なのではないでしょうか。インターネット上の情報の流れは、これまでのヒエラルキー構造ではなく、くもの巣状に水平につながることに特徴があります。であれば、ある情報を真ん中において、その発信者も受信者も、時には受信者同士もインタラクティブであること。また、いつでも受信者が発信者になりうることが重要なのでしょう。
ただ、ネットだからこれが手放しに実現するわけではないと思います。エンドユーザーの網目状の双方向を意識せずに、既存メディアとは違った切り口だというだけで一方向的な報じ方をするのであれば、結局は既存メディアと同じ結末を招くのかもしれません。世のため人のためと思っていることが、本当に「他人」のためになっているのかという検証を忘れてしまうと、蓄積された歪みの量こそ違え、既存メディアの二の轍を踏む可能性もあるのではないでしょうか。そしてその検証の指標が双方向の情報の中にあるのだと思います。
そう考えると新聞に今何が足りなくて、インターネットがコモディティになる時代に、何を意識すれば生まれ変われるのかが見えてきそうです。まずは、エンドユーザー「個人」を知り、1対1でつながる努力をすること。次にそのエンドユーザーたちとの水平で双方向な関係を作り上げること。少なくとも「自分たちが世のため人のために必要な情報を伝えてあげている」という一方向的な価値感から脱却しなければならないのだと思います。
新聞も、そのやり方しだいでは立派なオルタナティブメディアになりうるはずです。いまだにネットを対立軸においてモノを考える方々にはお話しても同じかもしれませんが…。
Habby
2005 年 8 月 26 日いくつかの新聞がネットを使って紙面へ反映していますね(世論調査やアンケート?)。ある種インタラクティブに近づけているような印象です。
神奈川新聞のカナロコはもっとインタラクティブですし、夕刊フジBLOGも読者からの指摘で訂正をしたりとそこそこ始まっているように感じています。
ただもっと大掛かりに、となると既存のメディアの場合はさまざまな足かせがあるのではないでしょうか。
例えば信頼性を担保するには確認を何度もしなくてはならない、となると速報性は落ちる・・・速報性を担保したいなら若干の情報の欠落がある可能性も(?それは無いのかな)。
情報の読み方は人それぞれです。「速報だから間違った情報が入るかもしれない」と思う人もいれば「新聞社がこういっているから丸ごと信じる」という人も。
読者がどう読んでいるのか、紙だけでは確認のしようがありませんが、現状のネットでも同じような気がします。
もっと新聞社が手の内を明かさないとならないのでは。この情報はどういった角度からのものか、ということも読む側が分からないとならないし。
他にもなぜ被害者の写真や住所があって加害者の情報は少なかったりするのか。被害者の写真はなぜ必要なのか。もし自分が被害者か被害者の家族だったら掲載は嫌です。
掲載の意図がはじめて読む人にとっては、わかりにくいです。問い合わせたら答えてくれるのでしょうけれど・・・。
それをネットで補完しようとしている新聞社ってどこなのでしょうか。
(あ。長々と失礼しました。)
saygo@管理人
2005 年 8 月 26 日Habbyさん、こちらにもコメントいただきありがとうございますw
>神奈川新聞のカナロコはもっとインタラクティブですし、…
そうですね。カナロコを見ていると色々なご苦労があるようですが、ほんと頭が下がります。これまでも掲示板や投稿用フォームなどをサイト上におくところは何社もあったのですが、リアルタイムでユーザーと同じ目線で対話しているところは、あまりなかったように思います。その皮膚感覚での対話にオルタナティブメディアの匂いを感じます。
「新聞社が手の内を明かす」ということも、そういった感覚に近いような気がします。垂直方向の双方向ではなく、水平方向の双方向、さらには1対1ではなくて、1対多、多対多の双方向を築くことが、新しいメディアに求められている(今の新聞にない)スタイルなのではないかと考えます。
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高田昌幸
2005 年 8 月 27 日宿題をさせてしまって、もうしわけありませんでした(^^; 関連の記事をトラックバックしました。どうぞよろしく。
saygo@管理人
2005 年 8 月 29 日高田さん、コメント、TBありがとうございます。エントリも読ませていただきました。
わたしは、このエントリで「メディア」のシステムというかスタイルから、オルタナティブを考えてみたつもりです。で、いろいろと思い悩んでいるうちに「オルタナティブメディア」と「オルタナティブジャーナリズム」を別に考えたほうがよいかも、と思うようになりました。以前、J考現学さんがエントリで書かれていたように思いますが、私ももう少し考えをまとめて、再度エントリを立ててみたいと思います。
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高田昌幸
2005 年 9 月 20 日先日来、いろいろお世話になっています。シンポジウム当日は、時間が無くて言いたいことがほとんど言えず、でした。。。。
関連エントリをTBしました。どうぞよろしく。
saygo@管理人
2005 年 9 月 20 日高田さん、コメントありがとうございます。エントリも読ませていただきました。
今回の宿題トラックバックwのおかげで、悩みながらも、少しずつ自分の考えがまとまってきたように思います。今後ともよろしくお願いします。