最近、Twitterのつぶやきで、色々な事柄へのファーストコンタクの機会を得ることが多くなりました。「地震だ!」などの速報系つぶやきから、政治家さんの「事業仕分けなぅ」的なつぶやきまで、結構な量の「生の」一次情報がタイムラインに流れていきます。ソーシャルブックマークやRSSフィード共有といった、これまで使っていたサービスも、うまく使えば、すべてTwitterで事足りてしまう感じです。
そんな中、論考系のつぶやきにハッとさせられることがあります。それも140文字目一杯使ったものではなく、つい勢いで吐き捨てられたものだったりすることもあります。なんというか、一緒にお酒を飲んでいて「あっ、こいついいこというなぁ」とか、「一緒に仕事してみたい!」と思う瞬間に似ている気がします。
数日前も、某氏のこんなつぶやきがありました。
ケータイがゲーム面で機能強化するのは、進化ではない。
なるほど。自分自身がぼんやり感じていたことを、ひとことで言い切っています。
私も、ソーシャルメディアがマネタイズに苦心するあまり、本質的な進化という戦略ではなく、手っ取り早い戦術に舵を切ることに違和感を覚えていたので、大きく頷かされました。それが、間違いだというわけではないのですが、、、
この辺りのことは、気が向いたら新たにエントリをたてることにして・・・
今、Twitter上の情報は、ハッシュタグなどでグルーピングされたり、検索エンジンにより検索されたりすることで、新たな価値付けをされる段階にあるようです。そう考えると、編集された情報が、どのようなルールで、誰のどのよなシチュエーションにリーチするのかという、メディアの原初的な進化の姿をたどっているようにさえ感じます。
そういった意味では、新しくて古い道具といえるのかもしれません。