団塊の世代を想う

最近あちこちのニューストピックに「団塊」という言葉が目立つようになって来ました。団塊の世代が一斉に定年する2007年を、マーケット全体が色々な切り口で注目しています。ある時は、熟練されたスキルが現場を去ることで、残されたものに混乱が生じるのでは…という大量リタイヤを危惧する声。またある時は、大量リタイヤに伴うお金の動きに注目したマーケティング。ある所では辞められては困るといい、またある所では辞めたことで広がる市場に期待しているわけです。ただ、それほど世の中に大きな影響を及ぼす出来事であることには違いないということでしょう。

団塊の世代を語るとき、その数の多さからなのか、サイコグラフィック特性によるものなのかは分かりませんが、様々なムーブメントを起こす世代とよく言われます。例えば数年前にカメラのライカがブームになりましたが、このムーブメントの火付け役がこの世代だったという話を聞いたことがあります。想像の域を超えないのですが、量的影響力はさることながら、流行ってるものはとりあえず反応しておこうというような横並び意識がその背景にはあるのではないでしょうか。大量生産大量消費時代をつくり生きてきた方々の独自の価値観なのかもしれません。私のような若僧が、偉そうに団塊世代700万人を束ねて論じると怒られてしまいそうですが、価値観が再分化しニッチ市場が活性化するロングテール的現象はこの世代にはあまりしっくり来ないのではないでしょうか。そう考えると、団塊の世代はマスマーケティングが通用する最後の世代と言えるのかもしれません。

高度成長期の知恵と経験を後輩たちに伝授していただくことも非常に大切なことだとは思いますが、個人的には700万人の市場が突如出現することへの期待感の方が大きいとかいうと、また怒られてしまいそうですが…。