新聞社サイトへのトラックバック

一つ前のエントリで、YOMIURI ONLINEのリニューアルのことを書きました。全国紙初のTB機能実装ということもあり、興味津々で16日午前0時過ぎにサイトを訪れたのですが、変化なし。トップページも変わってなければ、TBなんてどこにもない。ということで、まさかガセ?と心配してしまいました。

朝になっても変わらないし…???、と思っていたら昼過ぎにちゃんと変わっていました。それで、TBも大変なことになっているだろうなぁと覗いてみると、1、2件しかありません。確かにネタ的にも絡みづらそうですが、それにしてもその反応のなさに驚きました。もう新聞社のサイトにトラックバック機能が付いても物珍しくないということなのでしょうか。

神奈川新聞がHPブログ化を発表した時は、あちらこちらのブロガーがこぞって取り上げ「カナロコ」は一躍有名になりました。同新聞社は1日にして、ネット上で「新感覚を持つ新聞社」としてのブランドイメージを作り上げたのです。私も大いに刺激を受け、神奈川新聞の勇気と行動力を称えるエントリを書き、これぞ市民参加型ジャーナリズムの一歩なのだと考えました。しかしながら、実際にTB、コメントが解禁されてみると、ほとんどTB、コメントが付かない現状です。スタッフブログのコメント、TBが一番多いというなんとも皮肉な状況のようです。それはそれで、読者への丁寧なコメント返しなどに感心してはいるのですが…。

YOMIURI ONLINEも、神奈川新聞カナロコもまだスタートしたばかりなので、これから徐々にその紙媒体にはない双方向性のよさが発揮されていくことだと思うし、期待しています。しかし「ネットは新聞を…」の湯川氏が最近のエントリ

ただ、米国のようなブログジャーナリズムも、韓国オーマイニュースのような市民記者ジャーナリズムも、日本では大きな影響力を持つまでに成長することはないのかも・・・。最近はそういう思いのほうが強くなってきている。

といつになくトーンダウンされているのが気になります。

コメント

  1. 匿名の心理、実名の心理〜暴言の抑止力になるものは?

     書くときに実名やコテハンを明示すると、なぜ罵詈雑言の抑止力になるのか? ズバリ、私は「世間体」だと思う。この点についてブログ「綾繁重工杜内報」さんから、再度異なる意見が寄せられた。そこで今回は匿名と実名における人間心理について考察してみる。

     人がネット上で文章を書くにあたり、その人の「心の居住まい」を左右するものは何か? 「綾繁重工杜内報」のいそはち氏は、エントリー「続・実名と匿名」の中でこう論じている。

    「最初から完全に偽名・匿名で発信した場合と、ある程度身元の割れた、実名と紐付けされたハンドルネームなりで発信した場合とでは大きく記入者の心構えが異なるはず、という事はまず考えられると思います」(一部、改行した)

     ここまでは「YES」である。ただし私は、ハンドルが必ずしも実名に紐付けられていなくても心構えは変わると考える。これはちょっとした意見の相違に見えるが、そうじゃない。何が抑止力になるかについて、私といそはち氏の決定的なちがいが実はここにあらわれている。

     いそはち氏は、なぜ実名とハンドルの「紐付け」にこだわるのか? それは次の段落で明らかになる。以下、引用する。

    「匿名掲示板ですら今の警察の手にかかれば、限界はあれど個人特定は可能という事が分かっているはずなので。(まだ犯罪予告などで逮捕される連中もいるが…)」(同)

     つまりいそはち氏は「法的制裁」が抑止力になると考えているのだ。

     だがちょっと考えてみてほしい。たとえばあなたは、どこかのブログのコメント欄に書き込むときに、「いまから書く内容は刑法に触れるかどうか?」なんてことを考えているだろうか? あるいはまた、「あっ。この表現は刑法に触れるから書き直そう」などとイメージするだろうか?

     百歩譲って法的制裁が抑止力になるとしても、ネット上にあふれる誹謗中傷のたぐいは大半が削除、またはスルーで事なきを得ているのが現状だろう。おとがめなしだ。

     書かれた側が名誉毀損(刑法230条・231条、民法709条・710条・723条)で「おそれながら」と訴え出るには、膨大なエネルギーがいる。「そこまでする気はない」というのが素朴な庶民感情である。

     とすれば罵詈雑言を書き込んでも、司法が介入するなんてことはめったにないわけだ。これじゃあ当然、抑止力にはなりえない。

     一方、私は冒頭で「世間体が抑止力になる」と書いた。いったいどういう意味か?

     たとえば私は実名でブログを書いているが、これを読んでいるのは別に知人だけじゃない。ふだん仕事でおつきあいのあるメディア関係の方々や取材先、その他もろもろの人も目にしている。私が知らないだけで、思わぬ人が読んでいる可能性もある。

     なんせ実名ブログだから、Googleで何かの検索中にたまたまココを見つけたとしても、「あっ、これ松岡さんじゃん」とすぐわかっちゃう。この状態でヘンなこと、まちがったことを書けば、「松岡さんて、こんな人だったのね」とたちまち白い目で見られてしまう。

    「あんな人に原稿を依頼するのはやめよう」(非常にコワイ言葉だ。両手が震えてきたぞ)などと信用をなくしたら一巻の終わりだ。つまりひとことでいえば、これは「世間体」なのである。

     別に私に限った話じゃない。たとえばAさんがいつも使っているHNで、どこかのサイトに罵詈雑言を書いとしよう。その「どこか」はAさんの巡回先である可能性が高い。

     すると似たようなサイトを巡回しているAさんのネット上の知り合いが、それを目にする可能性は高い。「Aさんて、電波だったのね」。そんなふうに思われ、友人をなくしてしまう。つまりネット上における世間体が歯止めになるわけだ。

     だれにでも覚えがあるだろう。何かがきっかけですっかりキレまくり、ブログのコメント欄や掲示板にハチャメチャなことを書き込んだ。で、「送信する」ボタンを押しかけた瞬間、思いとどまったことが。

     そのときあなたの頭によぎったものは何か? 「刑法に触れるから」ではないだろう。「人に見られるから」であるはずだ。

     たとえ実名に紐付けられてなくても、いつも使っているHNはネット上で実名と同じ機能を果たす。趣味などを通じてAさんが築いたコミュニティとAさんは、HNで結び付けられている。

     罵詈雑言を書いたせいでHNが穢れてしまえば、Aさんはかけがえのない自分のコミュニティを失う危険性がある。これはリッパに抑止力になるだろう。

    「世間体を気にする」といえば、なんだか形だけの体裁にこだわる形式主義みたいで評判がよくない。だが実はもっと深い意味がある。世間を考えれば人は行動を律するようになる。他人に迷惑はかけないし、いい評価を得ようと努力もする。

     つまり「世間体を気にする」とは相手を思いやることであり、「こんなことを書いたら本人は傷つくかな?」とイメージすることだ。また人のために何かをし、尊敬されることでもある。人間が社会的な生き物である限り、自分の姿の映し絵である「世間様」はどこまでもついてくる。

     世間体は古くて新しい言葉だ。地域共同体が存在し、まだ近所づきあいが活発だった時代には、世間からつまはじきにならないことが行動の指針だった。だがリアルの世界では、その世間体なる感覚は崩壊した。

     そしていま、ネット界を律しているのが、ネットワークという名の「世間」なのである。

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  2. 読売新聞「ヒゲ記者」事件で考える匿名と実名の功罪

     JR西日本を恫喝した読売の「ヒゲ記者」が実名を晒された事件を機に、匿名と実名それぞれの功罪が議論になっている。記者の署名制度については前々回のエントリーでふれたので、今回はネット上における匿名・実名問題を考えてみよう。

     まず「匿名」の定義は以下の通りだ。

    「自分の実名を隠してあらわさないこと。また、実名を隠して別の名を用いること」(三省堂「大辞林 第二版」より引用)

     これをネットのコミュニケーションにあてはめれば、匿名なるものは大きく分けて「無記名」(完全な匿名)、「自分がいつも使ってるHN」、「捨てハン」(そのときだけ使う名前)の3種類になる。

     また匿名問題を考える場合には、書き込むときの「シチュエーション」も合わせて検討する必要がある。こっちは無限にパターンがあるが、代表的なモデルケースをあげればこんな感じだ。

    1 他人の行動や言動、持論に反論したり、それについて議論する(対立しがち)。

    2 客観的なことがら(出来事や概念など)について、他人と議論する。

    3 他人にアドバイスする。

    4 何かに関する感想を述べ合う。

    5 内部告発する。または外部の人間が告発する。

     では、上にあげた匿名の種類とモデルケースについて、順列組み合わせでセットにしてみよう。ただし匿名問題は人によってまるで意見がちがう。よって、これはあくまで私個人の考えであることを前置きしておく。

     まず他人の行動や言動、持論に反論するときはどうか? この場合、相手がネット上で実名を掲げているなら、自分も実名で反論するのが望ましい。

     たとえばAさんが実名で「○○は××である」と持論を言うとき、Aさんは実名を出すことでリスクを背負っている。リスクとは言い換えれば、「自分の言動に責任をもつ」ということだ。実名でテキトーなことを書いたり、事実とちがうことを主張すれば、Aさんはヘタすると社会的生命を失う可能性すらある。いいかげんなことができないのだ。

     一方、そのAさんに対し、Bさんが匿名で反論するのはカンタンだ。もし自分の主張がまちがっていても、Bさんは匿名だから何も失うものはない。裏を返せばBさんは、いいかげんな言説を意図的にぶつけ、Aさんのイメージを貶めることさえできる。

     この点について考えるいい材料になるのが、ブログ「綾繁重工杜内報」の「いそはち」氏の問題提起だ。「いそはち」氏はエントリー「弁解…のようなもの」の中で、こう書いている。

    「自分が思うに、何かしらの情報発信を行う者はその責任を負う義務があり、その情報の発信者の記載は(例えば、署名)必要とは感じます。が、それが実名である必然性は、果たして? ということ。

     例えば私が事実と異なる情報を流布したことで、その責任を問われる事態となった場合、警察の捜査によって自分の身元特定がなされます。それで充分なのではないかと」(一部、改行した)

     一見、正論なのだが、実はこれは「シチュエーション」による話だ。

     たとえば実名を掲げて書いているAさんに関して、Bさんがあることないこと悪意の言説をふりまいたとしよう。で、仮にBさんが刑事犯になって逮捕されたとする。だがいったんついてしまったAさんのマイナスイメージは、払拭するのがすごくむずかしい。

     極論すれば、Bさんが逮捕されようがされまいが、Aさんにとってそんなことは関係ないとさえいえる。

     匿名問題とは関係ないが、JR品川駅で手鏡を使い、女性のスカートをのぞいたとして逮捕された植草一秀・元早大大学院元教授の例を考えればわかりやすい。仮にまったくの冤罪だったとしても、植草元教授が「偏見の目」で見られないようになるまでの道のりは限りなく遠い。

     また実際には、警察沙汰にならない範囲で、かつAさんが致命的なダメージを蒙るケースはたくさんある。

     あるいは「イメージ」ではなく、物理的な実害を考えてみよう。Bさんとのやり取りが原因で、Aさんが職を追われたとする。この場合、そのあとでBさんが逮捕されたとしても、Aさんが復職するのはむずかしいだろう。またBさんが刑法に触れない悪意の仕掛けをし、けれどもAさんが失職する可能性などいくらもある。

     リスクをしょって言動に責任を負う実名のAさんと、テキトーなことをやっても被害がない完全匿名のBさん。どだいこの2人が議論するのは、どうしたってフェアじゃないのだ。

     また害うんぬんだけじゃない。Bさんが匿名であることにより、議論全体の「確からしさ」や「話し合いが有意義であること」が担保されないケースは当然出てくる。

     たとえば脳機能学者の苫米地英人氏は、このところ立て続けに匿名の弊害を考察するエントリーを公開されている。氏の場合は匿名についてかなり厳格にお考えになっているようだ。それらのうちジャーナリズムやコメント削除についても書かれているものを、参考までにひとつだけあげておく。

    「ブログ、実名か虚名か?」

     何度も同じテーマでお書きになっていることから考えれば、相当、思われるところがあるのだろう。

     ただ、私の場合は氏の考えに大筋うなずきながらも、どこか人間を信じたい部分がある。たとえ実名と匿名が入り乱れても、なんとか何も問題が起こらず有意義な場ができないものか、と思ってしまう。

     またもうひとつ、ネットにおける実名制度にどこまで現実味があるか? の問題もある。現状、みんながみんな、実名でネットをするというのは、やはり現実的じゃないだろう(将来的にはそうなるのかもしれないが)。

    「実名には実名で」を絶対条件にすると、ものを言えなくなる人がたくさん出るはずだ。ネットはせっかく広く開かれた世界なのに、それではネット上で議論できるチャンスが減ってしまう。

     また第3の理由として、匿名でなければ実現できない「意味あること」や、「匿名ゆえの面白み」というのもネットにはある。これについては後述する。

     で、次善の策として、実名のAさんに反論するなら最低限、Bさんは「自分がいつも使っているHN」や「自分のブログ等のURL」を明示すべきだと私は考える。もちろんHNやURLは詐称できるし、本人確認なんてできない。だからあくまで紳士協定みたいなもんだ。

     では「本物」のHNやURLを出すのは、どんな意味があるのか? たとえばHNやURLを明かした上で誹謗中傷したり、いいかげんなことを主張すれば、BさんはそのHNやURLを二度と使えなくなる可能性がある。

     で、HNを作り直して友だちに告知したり、サイトを引っ越すハメになる。これってめんどくさいし、お金がかかる場合もある。もし私ならゴメンだ。こういうリスクを背負うぶん、Bさんは自分の言動に「確からしさ・誠実さ」を心がけるようになるはずだ。

     前出の「いそはち」氏は同じエントリーで、「早い話、ハンドルネームと実名が紐付けされていればいいんですよ」とする。この考えに近いかもしれない。だがもっと踏み込めば、コミュニケーションの確からしさや生産性さえ確保できれば、「実名に紐付けられなくてさえいい」のである(もちろん私の個人的な考えだ)。

     実名やHN、URLはあくまで「手段」であり、目的は「議論を有意義、かつ生産的なものにすること」である。だから目標を達成できるなら、手段は別にHNやURLでなく何かほかの新しいシステムでもいい。

     理想論にすぎないと笑われるかもしれないが、もっと言うなら仮にすべての人が公明正大で生産的な話し合いをしたいと願ってさえいれば、しくみなんて何もなくたってOKなのだ。

     とはいえ現状、現実的な解は「なんらかの名称」だから、それについてもう少し考えてみよう。

     次に想定できるケースは、実名ではなくHNで持論を述べる人に反論したり、彼と議論するときだ。これにはもちろんHNでいいだろう。まあ実名を出したきゃ、本人の勝手である。

     で、このときHNは、議論する相手を識別するための「記号」として機能する。「無記名」では、いったいだれが反論してきたんだかわからない。たがいに意見交換するのが不便でしょうがない。また実名ではなくHN 対 HNなら立場は対等だ。とすればこの場合、HNは議論の利便性を高めるための符号になる。

     それなら上に上げた「2」はどうか? 誰かの持論に対してでなく、客観的なことがら(出来事や概念など)について第三者的に議論する場合だ。

     これだと「1」とくらべて、相手の尊厳を傷つける可能性は低くなる。ただしやり取りがヒートアップすれば別だ。揚げ足取りになったり、誹謗中傷になるんじゃ時間のムダだ。やっぱり相手が実名ならば、「いつも使っているHN」でやり取りするのがベストだと思う。

    「3」の「誰かにアドバイスするとき」も、HN 対 HNでOKだろう。実名の人に善意でアドバイスしようとしてるのに、「オレは実名だからあんたも実名でアドバイスしろ」なんてのはギャグだ。善意にもとづきアドバイスが行われる限り、別に「無記名」でもいいかもしれない。とはいえ1回だけのやり取りでは済まず、継続的にレスしあうなら識別記号はあったほうが便利だろう。なら捨てハンでもええわな。

     また「4」の何かに関する感想を言い合う場合も同じだ。ただしこれについては「無記名」で、かつ、脊髄反射しあってこそ成立する「面白いコミュニケーション」、「匿名ならではの瞬間芸」ってのはありえる。だから私は名前にこだわる必要はないと思う。

     というか私はとにかく「面白いこと」が大好きなので、実名にしたせいでこのテの芸やユーモアが絶滅するんだとしたら、とっても残念なのだ。

     実のところ、ホントに面白い人が定期的に私のブログのコメント欄にやってきたとする。で、無記名でなきゃできないめちゃんこオモロイ芸をかまして笑わせてくれるなら、まあ10回に1回くらいは別のヤツに無記名でボロクソ叩かれてもしようがないかな、とすら思っている(あっ。や、聞かなかったことにしてくれ)。

     さて、最後に「5」の不正を告発する系の番だ。こいつは匿名じゃなきゃできないケースのほうが多いだろう。だから名無しはアリ。あくまで告発者の安全を保証するのが最優先だ。ただしこれは内部告発なのか、外部の人間なのかにもよる。また実名で告発しても被害を蒙らない場合もある。だからいちがいにはいえない。ケース・バイ・ケースだ。

     まとめると、その人固有の名称(実名やHN)には2つの機能がある。1つはコミュニケーションに責任をもたざるをえなくなる「お札(おフダ)」としての働き。そしてもう1つは相手を識別しやすくするための記号性である。

     現状、実名でブログをやってる人は、ビジネス目的以外ではごく少数だ。だからみんな、前者の「お札」機能はピンとこないかもしれない。けど、実際に実名で書くとホント実感するぞ(笑)。現に私なんか、いったん書いた下書きを「こりゃヤバイな」と思って書き直すこともけっこうあるしな。

     私の場合は仕事で署名原稿をさんざん経験してるが、ブログと仕事の文章じゃぜんぜんちがうんだよ、感覚が。なんかブログだと、催眠術にかかったようになぜか匿名で書いてるような気分になるんだ(これがネットの魔力か? でも仕事でWebにも書いてるしなあ)。

     んで、公開してから、「あっ、この原稿って、現実世界で知り合いの○○さんが読むかもしれないじゃん。とするとアレがああなってこうなって……うへ、やべっ」みたいな瞬間があるんだわ。ホント、危ない橋を渡ってるよなあ、わし(笑)。

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  3. Yomiuri On Lineリニューアル:やっぱ初物好き

    Yomiuri On Lineが16日リニューアルしました。目玉はインターフェースの一新。多少使いやすくなった?ツールバーの提供などありますが、Mac&Safariに対応してないので残念。

    そして、一番気になっていたトラックバックですが、「鈴木美潮のdonna」のみ。コメント不可(投稿フォームはあり)。タイトルは「部屋とゴミと私」。これは荒れようがありませんね。大手新聞社ではまだまだ読者とのセッションは無理なのでしょうか。TBもまだ付いてない様ですし。そう考えるとカナロコの偉大さがひしひしと伝わってきます。

    せっかくなので、TBネタを。
    うちも散らかし魔人と格闘の末、ひと月…

  4. singlecherry より:

    で、このエントリはTBされたのでしょうか? してあげましょうよ(笑)

  5. テサラック@管理人 より:

    >singlecherryさん
    コメントありがとうございます。
    ご心配なくTBしてますので(笑)アクセス解析を見てみると、結構あちらから来られているようです。皆さん見には行ってらっしゃるのでしょうね。

  6. 【匿名論争始末記】トラックバックスパムと議論の「呼びかけ機能」のあやうい関係

     匿名・実名論争では、ひとりでも多くの方に議論を呼びかけるため、私はスパムチックなトラックバックの使い方をした。批判を覚悟の狼藉だったが、幸い趣旨に賛同していただけ、たくさんのトラバと有意義なコメントを頂戴した。ブログが議論を喚起する力にはまったく脱帽だ。

     私のたくらみの趣旨と経緯については、ニュースサイトの「RBB TODAY」で私が連載しているコラムにくわしく書いた。もしご興味のある方は、そちらもあわせてお読みいただけると幸いだ。

    ◆第11回 『松岡美樹のブロバンよろずウォッチング』
     ─議論の呼びかけはトラックバックスパムか?─

     さて今回、考えさせられたのはトラバの使い方だ。たとえば匿名論争について、「Aさんならきっと洞察力ある論述をされるだろう」、「Bさんならご自身の立場柄、参考になる体験談が聞けるにちがいない」と思ったとしよう。

     で、Aさん、Bさんに意義のある意見表明をしていただければ、議論するためのいいタタキ台になる。みんなでそれをもとに論議を深めることができる──。こう考えたとする。

     この場合、私はいわば作家さんに原稿を依頼する編集者みたいなものだ。「依頼」とは、匿名問題について私がエントリーを立て、みなさんにトラバを送ることである。つまりトラバで議論を呼びかけるのだ。

     ところがこの場合、Aさん、Bさんが匿名・実名問題について過去に書いたことがなければ、トラバを送れないことになる。強引にやったらトラックバックスパムだ。

     さりとてテーマには公益性があり、Aさん、Bさんの意見表明はきっと社会的な利益になるはずだ……。で、前述のコラムに書いた経緯とやり方で、私は「やっちゃう」ことにした。

     さて私の行為はいわば「非合法」なわけだが、みなさんはどう思われるだろうか?

     上記のコラムの文中では、匿名問題を取り上げているいくつかのブログを紹介した。そのうちのひとつ、「むだづかいにっき♂」のえっけんさんが当のコラムをお読みになり、さっそくエントリーを立ててご意見をくださった。少し長くなるが、一部を引用しよう。

    『記事全文を読むと、スパムとされないための工夫はいろいろとされており、こういうやり方であれば僕は不快感は感じないものの、僕は記事の話題と無関係なトラックバック・コメントは歓迎しないのです。「知的で洞察力があるからご意見を聞きたい」と言われたとしたら、まぁ悪い気はしないだろうけれど、その話題に関しては不得手な分野という事もあるだろうし、そうしたコメントがあることで、それまでのコメントの流れを断ち切ってしまうような気がします(もっとも松岡さんのように最新記事の感想をも書く、というのならば、最大限の配慮が感じられ、悪い気はしませんが、そこまで考えて「呼びかけ」を行う人は、一体どれくらいいるだろう?)』

     はい、わかっております、えっけんさん。だからえっけんさんには、呼びかけのトラバを送らなかったんです(笑)。

     私は「むだづかいにっき♂」をよく読んでいるので、えっけんがトラバに対してどんな考えをお持ちなのか知っていた。

     で、「えっけんさんはこの方法はヨシとしないだろうなあ」と思ったので、ご意見は拝聴したかったが呼びかけトラバは送らなかったのだ(すでにえっけんさんは何度か匿名問題を取り上げていたから、というのもある)。

     また、えっけんさんがおっしゃることはすべて正論である。そんなわけで微妙な問題をはらみながらも、みなさんからは匿名・実名についていろんなご意見をいただき、私自身とても勉強になった。トラバ、およびコメントをくださった方々には、この場を借りてお礼を申し上げたい。

     いずれにしても今回の件で、私はブログのもつ途方もない可能性に驚かされた。アメリカじゃ、「ブログ廃人」が続出してるっていうけど、わかる気がするなあ。いやホントに。

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  7. The Japan Times:無料新聞記事データベース

    新聞記事データベースが無料です。 1999年以降の全文記事が見られます。 検索機能があってとっても便利です。 The Japan Times:無料新聞記事データベース http://search.japantimes.co.jp/search4.htm