メディアの棚卸し

12903660_s仕事帰り、近所のスーパーマーケットによく立ち寄ります。そのスーパーは、22時まで営業しているし、いつも買うビールが安いので、多い時は週に1〜2回くらいのペースで買い物をします。

先日、仕事が終わった20時すぎに立ち寄ると、既に閉店していました。お店の中はまだ明かりが付いているし、何事かと張り紙を覗きこむと、棚卸しのため早めに閉店するとのこと。

消費者の立場でいうと、この棚卸しがどんな意味を持つのかはそれほど興味がありません。ただ、何を誰にどう売るかという、実にシンプルな問いに最適な答えを出すためには、定期的な“棚卸し”という現状の再確認が必要なのだと思います。実際には、在庫確認といった帳簿上の整理の意味が大きいのでしょうけど。

さて、タイトルにもどって、“メディア”の棚卸し。もう少し説明を加えると“情報価値連鎖”の棚卸しと言ったほうがイメージがつかみやすいかもしれません。例えば、新聞を例にあげると、取材から購読者宅のポストへの配達までの、何にどのくらいのコストがかかっていて、どんな価値を生み出しているのかを、細かく分けて再検証していくといったイメージ。おそらく、現在の情報流通やその価値連鎖は、このままの形で未来永劫続くことはないだろうから、早めにこの構造を一度バラして考えてみたほうが良いと思うのです。

その細かく分けたパーツを組み直していくことで、どのパーツが不足していて、どれが余っているのかが分かるのではないでしょうか。その作業の最中には、現状を否定するようなファクターも出てくるとは思うのですが、新しい価値を生み出すためには、これもきっと必要なプロセスなのでしょう。