twitterとか

最近、何かと話題のTwitterですが、じつは私も、随分はまっています。というか、これまでのコミュニケーションツールとは、また違ったポテンシャルを感じていて、「この手のサービスを応用すれば、こんなことも…」という妄想が限りなく広がっています。

とは言うものの、Twitterはもともと米国のサービス。英語がダメな自分にとっては、やはりインターフェースがどうも難しいというか拒否反応が出てしまいます。そこで、和製TwitterとかTwitterクローンと呼ばれる国内のサービスを使わせていただいています。

その中でも、ここ最近はTimelogに注目しています。いつも読ませていただいているブログで知り即登録。まだα公開なので、日に日にシステムが進化するのですが、そのベクトルが自分が思い描く妄想とかぶってたりして、結構気に入っています。

ところで、この手のツール、ミニブログとか、ミニSNSとか、2ちゃんライクだとか、色々な評価があるようです。しかし、何かどれもしっくり来ないような気がしていました。そんな折に、Timelogを運営されているhattoriさんのブログで、1対n、n対nとかではなく、1対0のつぶやき系ツールと例えられているのを読み、なるほどと頷きました。

明確な目的もなく発信された「ひとりごと」が、一定のルールの下に自然と集まりだし、その塊が存在意義を形成していく。まるで、ジグソーパズルが合わせやすい絵柄の部分からできていき、やがて一つのモノに仕上がっていくような、そんなポテンシャルを感じます。

ただ、こういった一行コミュニケーションは、誰のものを見ても意味が分かるわけでもないし、楽しいものでもありません。と考えると、まず一行コミュニケーションが許される距離感のユーザリンクが、まるで井戸端会議のように存在し、それらがタギングなどの手法を通じ、有機的に、立体的に、かつ緩やかに交差しながら存在意義を創り上げていく、という具合に理解すべきなのかもしれません。

そう考えると、まさにソーシャルメディアの原型のように思えます。