古きものが死に瀕している。でも誰も来るべきものを明確に見出せない。それがテサラック。

Archive for the ‘広告周辺’ Category

「必要なのは、担当者の人間力」

火曜日, 2月 9th, 2010

Twitter上でちょっとした騒ぎになったUCCのプロモーション問題。直後から、多くの方が評論されているので、あえて書くつもりもなかったのですが、CNETで紹介されていたUCC上島珈琲の対応、反応が素晴らしかったので、少しだけログに残しておきます。ことの経緯はCNETの記事でよくわかります。

「必要なのは、担当者の人間力」–UCC上島珈琲がTwitterのPR活動で得た教訓(CNETJapan)

ボットを使って無作為にキャンペーン情報を到達させた、というところが今回糾弾された点なのですが、その辺りのプロモーション手法の問題というのは、Twitterに限らず往々にしてあることなので、旬なツールだったが故に騒ぎが大きくなってしまったことには、若干の同情さえ覚えます。

ただ、この経験から生み出されたコメントが素晴らしい。以下引用すると

「Twitterを利用するにあたり、ユーザーがどんな反応をするのか細かく見ながら最初は人力で試すべきだったのだが、机上の想像だけで企画して、反応を見ることをせずに一気に機械化してしまった。つぶやきを1個1個聞きながら、丁寧にお客様とコミュニケーションするものであって、担当者の人間力が必要だということを痛感している」

最近、マスメディアによるプロモーションの行き詰まり感もあり、ソーシャルメディアを上手く取り入れてメッセージの訴求をはかり、さらには顧客とのエンゲージメントを深めていこうとする手法が多くなりました。ただ、いつも違和感を感じるのは、ソーシャルメディアの使い方がマスメディア的発想に支配されていることです。人数やPVなど「数」の指標を、ソーシャルのキモであるリレーションシップに優先させてしまうというか、そんな場面をよく見かけます。

今回の一件で、UCCさんはそのキモに気づかれたのでしょう。例えそれがプロモーション用の一過性のアカウントであっても、ボットで効率化をはかるだけではなく、その中にいる「人」が重要だということ。そして、そのコミュニケーションで生まれるリレーションシップこそがブランド資産になっていくということ。

ソーシャルメディアマーケティングのきほんの「き」でありながら、忘れられがちなところなのかもしれません。

明日は、UCCの缶コーヒーを買いますよ(笑)

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オリコミの市場

水曜日, 8月 12th, 2009

このブログでも、過去に取り上げたことのある「オリコミ」のマーケット。この大きな市場が、そろそろ動き出しそうだなぁ、という根拠のない胸騒ぎがしています。

2005年12月にDNPのオリコミーオがリリースされたとき、拙ブログではこんなことを書いていました。

エリアターゲッティングの要素が強い折込が、全国的サービスでどこまで伸びていくのだろう。今後この手のサービスが増えてくることは予想できるが、何かもうひと工夫、ふた工夫が必要になってくるはずだ。

「紙」をPCのブラウザ上でそのまま見せることに対する違和感とか、極端に配布エリアを重視するオリコミチラシを、全国サービスとしてまとめることへの違和感とか、その辺りは当時から感じていました。今も、その感覚は、そう変わっていません。しかしながら、4年前と今では、デバイス事情も変わっているし、地域でのメディアのポジショニングも随分変化しています。

ここに、胸騒ぎを感じるわけです。

とりわけ、地方のテレビ局が動き出す辺りに、ローカルエリアにおけるメディア再編というところまで、妄想が広がってしまいます。

しつこいようですが、今のサービスじゃダメだろう、という部分だけは変わらないのですが・・・
この先は、コンフィデンシャルということにしておこうかな(笑)

【参考サイト】

凸版印刷、新潟県域エリアに特化した電子チラシサイト「NST Shufoo!」開設(CNETJapan)
岩手めんこいテレビと凸版印刷,電子チラシサイトを12月1日に開設(ITpro)

北海道新聞×Shufoo(凸版印刷)
河北新報×Shufoo(凸版印刷)

Yahoo!×Shufoo(凸版印刷)

RKB_福岡チラシ

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空白の意匠

火曜日, 12月 16th, 2008

とある広告関係の書籍を読んでいると、その中で松本清張氏の短編「空白の意匠」が紹介されていました。最近、ビジネス書以外読んでいなかったのですが、どうしても気になって手にとりました。

この作品は、小さな地方新聞社と大手広告代理店の力関係が見事に描かれています。また、新聞社内部の、報道と営業の価値観の違いからくるせめぎあいなど、根の深い問題も、短編の中で見事に描写されています。

とある新薬の広告と、その新薬による事故の記事が、同日の紙面に掲載されます。広告は、大手代理店経由で掲載が決定したもの。記事は警察発表が、ほぼ、そのまま記事になるのですが、舞台となった地方紙は、他紙よりも詳細で具体的な内容で報道します。しかし、その新薬と事故の因果関係がないことが科学的に証明される、というところから話が急転します。

大手代理店の担当は怒り心頭で、その広告主どころか、この新聞社との全ての取引を停止すると脅しをかけてきます。このままでは、新聞の広告スペースを真っ白のまま発行することになってしまう、さぁどうする、という苦悩が襲いかかります。

この状況下で地方新聞社の営業を支配しているのは、その代理店の扱いが停止することイコール新聞社の経営自体が傾くこと、という恐怖感だけです。これを阻止できるのであれば手段は選ばない、というところが生々しく伝わってきます。ここには、広告の役割だとか、その効果だとか、編集権の独立だとか、ジャーナリズムだとかそんな発想は一切ありません。とにかく、スペースを空白にしないこと、大手代理店の機嫌をこれ以上損ねないことしかありません。

ところでこの短編、初版が1973年だそうです。作品の中にもでてくる、東京出張の際に夜行列車を使うシーンなどが時代を表しています。それから35年。インターネットの時代になり、広告ビジネス周辺もメディア周辺も大きく様変わりしました。ただ不思議なのは、35年前の作品であるにも関わらず、一部の描写を除けば、妙に生々しく、昨日今日のことのように感じらてしまうことです。中の人にとっては・・・。

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